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なおひとずの哲学カフェと観光日記

哲学カフェの開催記録と日帰り一人旅の記録をするブログ。

献血に行ってきた。約3か月ぶり。

 

 

敬天愛人出場のため2か月前から週3でランニングしてたが

血圧は下がっていなかった。

 

138ー91だから前回より悪化しておる。

 

r-GTPは変わらず。16と低い数値を維持しておった。

ここ連日続けて呑んでいたが1日2合くらいならさして数値に

でないものとわかった。

 

 

そしてうちわ。

なんだかんだで10年くらい使っていたと思われ。

 

新しいものに買い替えたので捨てた。

 

   

 

あとリュックも。

チャック部分が壊れたため買い替えた。

 

 

 

 

敬天愛人に出場してきた。

 

1試合目 上段突きなし投げありルール。

 

   

 

相手が大技だそうとして勝手に転んで自滅。

その上に乗ってなんとなくポジションとってたら優勢勝ちしてもうた。

 

 

2試合目 上段突きあり投げありルール。

 

 

最初に強烈な顔面パンチくらって気持ちが萎えた。

 

 

相手が首相撲できないのわかったんで組んで投げて

ポイントは取ったんだが

不測の事態でスタミナが切れ気味。

 

結局パンチで打ち負けて判定負け。

 

 

んー最初にいいパンチもらって気持ちが萎えて負けるというのは

前にもあったな。

 

今回は「気持ちで負けない」が課題だっただけにこれはダメだった。

 

パンチで負けてても組みでは勝ててたんだから冷静になって

いける道を選ぶべきであった。

 

我を忘れて打ちあったのが敗因。

何か手だてはあるはずだ、と考え焦ってはダメだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

オンライン哲学対話#55 終了しました。

 

テーマ「人生とはどこまでが自己責任なのか?」

参加者 7名

 

 

自分の命はどこまでが自分の命か?

自分の命は全部が自分の命ではなく何割かは家族や社会のものなのではないか

というところから始まり

 

生まれや育ちがみな違うのだから人生は環境要因に決められることが多い、

全ては運命によって決まっている

そう考えたほうが楽である、という意見があり

それに対して

 

いやいや人生はもう100%自己責任なのだ、

自分の人生は自分でどうにでも創ることができる、

そう考えた方が楽なのだ、

 

などの意見が繰り出され

 

そう言えば自己責任、は弱い側に課せられがちではないか、

自己責任とは強者の論理なんではないか、

 

いやしかし権力をもった国会議員など強者には弱者を救う責任

があるのではないか、

 

そもそも責任とは何か?

大臣とかが「責任取って辞めます」とかやっているが

あれは全然責任取ったことにはならなくないか?

 

「責任」というもの自体が単なるけじめとか象徴で

実は責任という言葉に実体はないのではないか、

 

などなど色々でました。

 

責任というと負のイメージが強いが責任を負うことで

メリット、美しさ、良い変化が起きたりしないか?

 

多くの出来事に環境要因が多い気がするが

自分で努力して得たものは自助努力の成果と思いたい、

 

などなど多くの対話がなされました。