今日は、ずっとゴロゴロしていた。
朝、起きて、コーヒーを飲んだ後、ゴロゴロして、昼ご飯に残り物の炒め物やら、もずくスープなんか(写真は無し手を抜いた)を食べておしまいにした後、またゴロゴロして、始動したのは午後の3時過ぎだった。
晩ごはんは、冷しゃぶにしようと思っていたから、作り始めたんだけど、ごぼうを何とかしなくちゃとけんちん汁も作り出し、なんか楽しかった。
けんちん汁を煮ているところ

こんにゃくもあったらよかったなぁー
冷しゃぶの野菜さん。
香り冷しゃぶというレシピだから、野菜を使う。

この上に肉が乗る。
晩ごはんの面々。

冷しゃぶ

けんちん汁と白飯

冷しゃぶとけんちん汁は、下のおじさんにお裾分けした。
午後の紅茶割りもがぶ飲みして。
食べながら、ふと思った事がある。
『優しい』とかそういうのって、自分が自分を振り返って言う事じゃないなって。細か〜
こんな事があった。
昼間行くところでのスタッフが、自分の事を「私、頑張っている」と言ったんだ。
私、そこで言っちゃった訳で
「頑張っているって、人からの評価で決まるんですよ!自分で自分の事をそう買い被っちゃいけませんよ!」と。
相手は無言だった訳だけど、この事を意気揚々とゲイの友人に話したら、友人一言、
「自分の事を頑張っているって思ったっていいじゃない!優しく聞いてやんなよ!」
大いに反省した私だったけど、似たような事で冒頭の『優しい』って自分の事を言う人って好きじゃないなって思う。
さっきの『頑張っている私』でも『優しい自分』でも、自分の事をそう表す人って、案外、そうでもなくて、こう言っちゃなんだけど「何を買いかぶっているの?」と思うんだ。
今まで見て来た中で、そういう自分の事を甘く見積もっている人の『頑張り』なり『優しさ』って、程度が知れていて、それっぽっち?と思う事が多かった訳なんだな。
持論だけど、ほんとに優しい人って『まだまだ』と思っていて『優しさとは何なのか』とか『もっと優しくなりたい』と思っている人が、本当に優しい人だった。
彼いわく(男性だった)「友達から優しいねと言われるから優しいんだと思う」と答えられた。
冒頭の理由から「全くそう感じられないんだけど、友達の評価はそれなのね?」と言ってしまった私がいた。
そう…
私は、自分の事を甘く見積もる人が苦手なんだと思う。
大概に置いて、そう聞くと「どれほどのもんじゃい!」と、心の中で毒づく私がいて、だからこそ、たま~に「オカリンさんって優しいよね」と言われると
「いや〜まだまだよ。優しくありたいとは常日頃、思っているけどね」と、防戦を引く訳で、
お気に入りの女の子からは「他の人に厳しい分、自分にも厳しいのか、その反対なのかわからないけど、〇〇さん(私の事)は手厳しいよ」と言われていてさ、
言葉には出さないけど、心の中では思う事がたくさんあるんだな。
違うな…
私は今、不安定なんだろうと思う。
求めるお気に入りの女の子と話が出来ない。
したいジャンルの話が宙ぶらりんになっていて、欲求不満なんだな。
そうだ…
女の子は、私の安定剤だった。
いつか、女の子と話が出来た際には、ニコニコ笑って話を聞いていようと思う。
くれぐれもこんな自分を出さないように。
不安定な自分を持て余しながら、日々を送ろうと思うよ…