前回に続いて、6月中旬に能登半島南部を訪問して
「グルメ&山城めぐり🏯」を愉しんだ旅の様子を紹介します。
引き続き、能登半島の付け根部分にある「富山県氷見市」を訪問。
ご当地で美味しいラーメンを頂いた後は、市内の山城を登城。
序盤にピンチに見舞われましたが、
何とか切り抜けた様子を紹介します。
氷見市で最大の山城・森寺城にアクセスしましたが・・・
今回は氷見市で最大の山城「森寺城(もりでらじょう)」を訪問。
能登守護畠山氏によって、越中進出の拠点として
16世紀初め頃の築城されたそうです。
遠目に「注意 熊出没」という立て看板があった。
登城の際には「クマ鈴」が必要ですね。
道端には大型動物用の檻(オリ)を見つけたよ。
このサイズだと「クマ用」よりも、
ひと回り小さい「イノシシ用」と思ったね。🐗
「おおっ行く手に立木が倒れている
」
駐車場に到着する300mほど手前でピンチにみまわれました
倒れている立木は、一人の手では移動できないほど重く、
また、愛車が上をまたぐのも難しいと思ったね。
結局、愛車はここに置き去りにして、先に進むことを決断。
山城へのルートが「300mほど延びた」と考えれば、
どうってことないと判断したのでした。
こうして徒歩で300mほどの登り坂を10分ほどかけて、
愛車を停める予定だった駐車場まで到着。
登り坂は案外ときつく体感では2倍の600~700mくらいだった。
「森寺城」の城域は南北約1.2㎞、東西約0.5㎞の
範囲に広がっている広大なお城。
ここから頂上の「本丸までは、約20分」
そして、ここにもありました「注意 熊出没」の立て看板。
クマ対策としてこちらの「クマよけカンカン」を
出発前に派手に打ち鳴らしておいたよ。
「クマ鈴」「蚊取り線香
」も携えて万全の態勢で出発
森寺城を登城
「牛ヶ窪」という場所にやって来た。
立札の背後は崖になっていたね。
立札の背後は、堀切のような構造を見つけました。
「百閒馬場」は馬の調練場です。
「ホントにこの狭い場所で、馬の調練が行われたのかな」
現在は芝生広場と呼ばれる「二ノ丸」までやって来た。
「あずまや」が物置小屋のようになっていて使用できなかったね。
ここにも「クマよけ カンカン」があったので、
こちらでも景気よく「ガンガン」と打ち鳴らしたよ。
こちらの画像では分かりにくいですけど、
二の丸の一角に大きな井戸がありました。
「遠方に見える、あの石積みはなんだろう」
この石積みの先はお城の中心地「本丸」でした。
石積みの石を石垣に見立てて触ってみたよ。
この時は気温30℃の高温でしたが「やぶ蚊が多い」
という事前情報から長袖シャツを着用。
おかげで、蚊に刺されることはなかったね。
本丸・二の丸の周辺に、いくつも石組を見つけることが出来たよ。
帰りがけも「クマよけカンカン」を派手に打ち鳴らしてから下山。
こんな時は命を守るため「恥ずかしい」という感情を捨てて、
「思いっ切りやった方が良い」と思うのでした。
序盤は、立木が行く手を阻んでいたので
一時は「どうなるか」と思ったけれど、、、
終わってみれば、トラブルなく目標達成できて
「良かったよかった」と胸をなでおろしたのでした。
次回は能登半島の西部、石川県内に舞台を移します。
【おまけ記事】朝の富士山 & 中国で日本人が襲われた事件のこと
昨日朝、富士山が顔を出してくれたよ。
梅雨空の合間らしく、上空には雲がたくさん出ていたね。
ズームで寄ってみると、山頂付近は意外と積雪が残っていました。
これだけ多くの積雪が残っている年は珍しいかもね
昨日24日朝、中国江蘇省・蘇州市で、日本人学校の
バスが襲われ親子2人がけがをする事件が起きました。
こちらの蘇州市、小生はちょうど20年前に住み始めました。
今年は「新札切り替わりの年」ですが、ちょうど20年前も
「新札切り替わり」があったことを覚えています。
当時の蘇州市は(おそらく今も)親日な中国人が多くて、
日本人であることが理由で嫌な思いをしたことは一度もなかったね。
小生の想像が入りますが「日本人だから襲われたのではない」と思います。
9年前に蘇州市内に出張していた時の様子を記事にしていたよ。
記事中の「蘇州市西部の高新区」という地名が、
まさに今回の事件現場なのでした。
https://ameblo.jp/kakki2609/entry-12083103316.html