7月の連休中に、西日本にある「日本100名城」
を中心に巡るドライブ旅の続きを紹介。
3日目の朝は、広島市内の宿泊ホテルから出発します
毎朝の習慣、体温測定の結果は「36℃ジャスト!」
いつもよりやや低いのですが、誤差範囲でしょう。
ホテルの朝食
ホテルの13階の部屋からの景色。
確か広島市内は、20年以上前に訪問して以来のこと。
平地に街並みが広がった都会ですね
さて、今回のお楽しみの一つ、ホテルの朝食。
最初にアイスコーヒーが出てきました。
その後、お盆の上に乗せられた食事がやって来ました。
大皿などから好きなだけ取って来る
「バイキング(ビュッフェ)形式」が
懐かしいのですが、このご時勢では致し方なし。
プレートの食事はそれなりに充実。
個人的には、もっと野菜をガツガツ頂きたかった。
スムージーとスープ。
スムージーは美味しいんだけれど、
チョット気取った飲み物って感じ。
それとパン3個。
心の中で、いろいろと小言を言いつつも、、、
最後まで美味しく頂けました。
広島城を訪問
ホテルから徒歩圏内にある広島城を訪問。
朝飯前ならぬ、ホテルのチェックアウト前に訪問します。
広くて立派な水堀が見えてきました。
こちらは「内閣総理大臣 池田勇人君(題字のまま掲載)」の像。
「所得倍増論」で名を上げたこの御方は、広島県出身だったんですね~
一方で「貧乏人はムギを食え」と答弁したと
して、不評を買った御方。
(この発言は、マスコミ等に曲解があったようです)
さあ、広島城の内部を散策しますよ。
広島城は1589年(天正17年)、毛利輝元により築城。🏯
これまで毛利氏の居城だった山城「吉田郡山城」では、大規模な城下町を整備するのは難しく、
一説には上洛して、大坂城や聚楽第を訪問した後に、新しい城を造ることを決意したと言われています。
「広島大本営跡」
時は下って1894年(明治27年)、
日清戦争に合わせ、ここに大本営を設置。
戦争指揮のため明治天皇も移られ、広島が一時的に「臨時首都」となった時代があったのでした。
大本営跡の向こう側に、天守が見えてきました。
早速行ってみましょう
毛利氏の後に城主となった福島正則により、
現在の基礎となる城の整備および城下町づくりが本格的に行われました。
ただし、あまりに大規模な城整備と城下町作りだったため、
時の権力者、徳川家康を怒らせてしまい、福島正則は謹慎を言い渡され、後に大減封の憂き目に遭うのでした。
城内は、撮影可能な場所が少なかった、、、。
広島城キャラクター「しろうニャ」のぬいぐるみは、
マスクを着用してキープディスタンスを訴えていました。
「武家屋敷」
「商家」
四角い箱は「箱膳」という、一人分の食器入れと、食卓を兼ねていました。
天守最上階から8方向の眺め。
さあこの方角に、何が見えるでしょうか
答えは「原爆ドーム」。
1945年8月6日の原爆投下で、広島県産業奨励館という建物は、ドーム部分の骨組みと外壁が奇跡的に残存したのでした。
そして原爆の威力により、この広島城もまた、江戸時代から現存していた天守などの建造物が一瞬にして倒壊したそうです。
再び屋外に出て散策。
「広島城の礎石」
1958年(昭和33年)の天守再建の時に、この場所に移されました。
お堀の外から、天守を撮影。
ホント、いい眺めですね~
その他の、お城の建造物をまとめて紹介。
小生は路面電車が走る街が好き。
もう少し留まっていたかったな~。
でも、もうタイムリミットなんです。
次回は、中国地方の覇者・毛利氏が居城とした
俳優・歌手の渡哲也さんが、8月10日に亡くなったそうです。
出身地は淡路島ですが、お生まれは島根県安来市とのこと。
先日訪問した「月山富田城」のある街です。
「西部警察」をリアルタイムで視ていました。
「角刈りにサングラスのお兄ちゃん」
の姿が非常に印象的でした
また大河ドラマ「秀吉」では「織田信長」を演じていました。
大河ドラマで、数多くの俳優さんが「織田信長」を演じましたが、渡哲也さんが一番イメージとピッタリだと思いました。
謹んでお悔やみ申し上げます。