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アメリカからウォルト・ディズニー本社の幹部(もちろんアメリカ人)がきて、いろんな雑談をしました。

そんな中で、半ば愚痴のように、
[ウォルトはミッキーの誕生とはほとんど無縁だった]という話題になった。
ビックリビックリマーク
本社の幹部に明言されちゃった(苦笑)

[アワ・WD・ザ・クリーチュア・オブ・ワールド]と言いかけたら、
[それは大げさだ]と真顔で反論されちゃったんだ。

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ウォルトは最初の商業アニメ映画をつくるとき、すでに有名だった猫のフェリックス(Felix the Cat)のパロディを企画した。

これが[しあわせウサギのオズワルド]

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しかし公開したら、すぐFelixの製作会社から激しい抗議を受けた。
そりゃそうだ。
どうみても[盗作]だわね。

困ったウォルトは、アニメーターのユブ・アイワークスに相談したところ。
やむを得ないので、即座にアニメ原画の耳を大きく塗りつぶして、
[これは猫じゃない。ネズミだ]と主張することにした。

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これがオズワルドの脇役で1927年に初登場したミッキーマウスのオリジナル・キャラクター。
つまり、ミッキーのスクリーンデビューは1928年ではなかったんだよ。

このオズワルド制作では、ディズニーのアニメーター会社は下請けの立場すぎなかった。
著作権と放映権はユニバーサル・ピクチャーズにあった。
確かにオズワルドの広告をみると、ウォルト・ディズニーの名前はどこにもない。
カール・レムリ(ユニバーサル映画の社長名)プレゼンツとしか書いていない。

現代になって、このオズワルドの版権をディズニー本社が買収しようとしたら、
相手からこの問題を蒸し返されて、泣く泣く予想以上の莫大な補償金を支払うことになった。
表向きは2006年にユニバーサルの親会社のTV会社、NBCネットワークと交渉して、傘下のABCネットワークから名物アナウンサーを移籍させる交換の対価ということだったが。
このときは[ミッキー神話→ミッキーはウォルトがつくったという公式見解]を守るために、事実の公表は伏せられたわけ。


では、もう一匹の猫は!?
Felixとは似ても似つかない肥満体にして。

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これが今のピート(Pete)になった。
すごくわかりやすいでしょ。

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つまり、ミッキーとピートはオズワルドの脇役として同時に誕生した双子の兄弟なんだよ。
これが真実。
Wikipediaにはまだこのようには書かれていないけれどね。


いまアメリカでは、こうした[社員の貢献]を組織がしっかりと評価する経営システムになっていて、
グーフィーの作者アートバビット、
そしてミッキーのオリジナルをつくったアイワークスもディズニー本社から再評価された。

もちろん、ウォルト・ディズニー本人の死後。
創業一家が経営から離れてからのこと。
幹部はそのディズニー神話[ワンマンズ・ドリーム]をどのように発展的に解消するかを悩み、苦労を重ねてきたんだそうだ。

ミッキーマウスは著作権がアメリカの法律で延長されているディズニーのシンボル。
それを守りつつ、しかし新たなキャラを生み出さなくちゃ会社は持たない。
実際にスティーブ・ジョブズがアップルから飛び出して、ディズニー・ピクサーを立ち上げたとき、ディズニー本社は破滅一歩手前で、下手したらマイケル・ジャクソンで大儲けしたソニーに買収されていたかもしれなかったと(笑)
だからアニメーターたちの権利をしっかり保証しないと会社は倒産しかかるんだ、これは教訓なんだと、幹部はしみじみと語った。

[なるほど。しかしWDは偉大なコンポーザー(作曲者→まとめ役)だったわけだ]と応じたら。

[その通りだ]とWD本社幹部は爆笑した。

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以下は《Wikipedia・オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット》より。

★★★★★★

ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスは当初映画プロデューサーで配給業者でもあるチャールズ・ミンツ(Charles Mintz)の下で実写を織り交ぜたアニメーションシリーズ『アリス・コメディ(漫画の国のアリス)』(The Alice Comedies)を制作していたが、作中のキャラクター「ジュリアス・ザ・キャット(Julius the Cat)」が漫画家パット・サリバンの“フィリックス・ザ・キャット”の模倣であったため、サリバンからの抗議を受け、やがてシリーズの人気も下火になったことから、ミンツの指示で新しいアニメーションシリーズを企画しなければならなくなった。
そこで2人は実写なしのフルアニメーションの制作に乗り出す。
キャラクターを創造するにあたってウサギの案が浮上、また親しみの持てる丸みのある絵柄を追求していく中でオズワルドが誕生した。
ウォルトの尽力によって第2作目『トロリー・トラブルズ “Trolley troubles” 』から大ヒットし、全26作品が制作されたが1928年2月、配給先のユニバーサル・ピクチャーズと製作費に関する交渉を行った際、所有権がユニバーサル側にあることを突きつけられ交渉は決裂、さらにチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作によってウォルトとアブは作品を放棄。
[中略]
1928年2月、ウォルトは結婚3周年記念のニューヨーク旅行を兼ねて、配給先ユニバーサル・ピクチャーズに製作費値上げ等、契約交渉に出向いたが、先方から返されたのはオズワルド等の版権はすべてチャールズ・ミンツとユニバーサル・ピクチャーズに所有権があるため、勝手な作品作りは認めることができない、加えて
「さらに製作費を下げなければアニメーターを引き抜く」との答だった。
挙句にミンツによって秘密裏に行われたディズニー・カンパニーからの従業員引き抜き工作によって3月に帰ったウォルトが目にしたのは、空席だらけのスタジオと、引き抜きを断ったアブ・アイワークスとその助手の2人のスタッフだった。