息子の就職④ | きっと明日は晴れる❗

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旦那の「急性骨髄性白血病」闘病日記とその後の家族の日常

前回からの続きです。

息子は東京に行き、なんとか頑張ってるようです。
忙しいだろうからあんまり連絡できないなと思ってますが、やはり心配なのでたまにLINE入れてみると時間が経ってでもちゃんと返事は返してくれます。

今回は息子の就職するにあたっての私の気持ちを綴りたいと思います。

正直言うと、さみしい。

本当は地元にいてほしかった。

いえ、大学を卒業したら地元で就職探すのは難しいのはわかってたので、いつか地元から離れるんだろうなと思ってはいたのですが、それでも地元に残ってくれることを少し期待する気持ちもありました。

それは旦那が亡くなってより強くなってました。

なので、初め地元に事務所を作る大手会社を受けさせたのは、地元で働けるならいいかも…と思ったのもありました。
そこに就職できたらかなりありがたいと思ったのです。

でも、そううまくはいきませんよね。


しかも今息子がいる会社は知らない会社でしたし、そのしくみが理解できなかった。
就職するにしても、せめて九州内の…福岡とかで…、職種がはっきりしてる所だったらなんて思ったりして、心から賛成できなかった。

それでも「今回は自分で決めたい」と言う息子の言葉を聞いて、息子は親離れできてるのに私が子離れできたてなかったんだなと感じました。

とにかくここは私が一歩引いて息子のこと見なきゃと…。

旦那が亡くなって一年。
息子には本当に助けられました。
留年して情けないと言いながらも、息子が学生でいてくれたことで、色々なこと相談する時間もあったし、買い物やら用事やら付き合ってくれたし…。
夜に自分の部屋に行ってしまう娘と違って、息子は一緒に晩酌したり…2人で楽しく話すことも多くて、私も寂しい思いをしなくて済んでました。
考えてみると本当に息子に助けられたなと思います。

だから…気持ちよく送り出してあげなきゃなと私も気持ちを切り替えました。
東京行きが決まってからは私ができることは快く手助けしました。


でも、実際に息子が東京に行ってしまって、息子がいない家は静かで…、やっぱり寂しい。
息子は小さい頃からうちのムードメーカーだったんです。

不思議と…家のゴミが少なくなったし、食材とかもあんまりなくならない…、一週間以上買い物に行かなくてもさほど困らない。
息子は晩酌用に家にある食材を引っ張り出して何かしら作ってましたし、バイト帰りに買ってきたりしてたもんな。
プラゴミが今までの半分くらいになりました。

それに離れていてもやはり色々と気になります。
ちゃんと食べてるのかな?会社の人とうまくやってるかな?
朝はちゃんと起きれてるかな?

こうやって子供が独り立ちしていくと一人の生活になっていくんだなと思います。
娘は来年大学をスムーズに卒業予定なので、今就活してますが地元に残るとも限りません。

旦那がいない分寂しいでしょうと言われそうだけど、おそらく旦那が元気でいても夫婦で仲良くって感じでもなかったはずだから、それはあんまり考えません。

逆に今まで家族のためにってのが自分のやるべきことだと思ってたので、そろそろ自分のこと考えようと思います。
私…何をやりたいかな?
少しずつ自分探しを始めないと。

息子の就職の話はこれで終わります。