『おんな城主直虎』登場の龍雲丸とは何者か…といっても、ネタバレでも何でもありません | == 肖蟲軒雑記 ==

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ツボに籠もっているタコが、「知っていても知らなくてもどっちでも良いけど、どちからというと知っていてもしょうもないこと」を書き散らすブログです

ドラマ21回では、相変わらず破天荒な振る舞いの直虎が描かれていました。領主らしくない振る舞いとか、時代のうねりが感じられないとか酷評する向きもあるようですが、既視感のある狭〜い世界、コップの中の嵐が描かれていて、これはこれで腹立たしくもあるほどに面白い。というか結構ツボに嵌まっています。

さて、今回は名前が判明した盗賊団の首領、龍雲丸に木材伐採の申し出をするものの…という展開になっているのですが…。

 

(神宮寺で直虎が龍雲丸と会った後)

南渓「おお、直虎殿、逢い引きはどうじゃった」

直虎「和尚さま、逢い引きなどとは人聞きの悪い。相見でございましょう?」

南渓「まあ、よいではないか。妙に気が合っているように見えたがのお」

直虎「おやめ下さい。ご覧になっておられたのですか。お人が悪いにも程があります」

南渓「戯れ言じゃ。それよりもの、あの者、どこの誰かは気にならぬか?」

直虎「気にならぬ、と言えば嘘になります。ただの盗人の頭にしては人としての重みを感じますし…」

南渓「おお、そこに惚れたか」

直虎「だから、おやめ下さい。そのような…」(怒)

南渓「いや、失敬、失敬。ところでの。彼の者、何と名乗っておったのじゃ?」

直虎「りゅううんまる、雲の龍、と書くそうでございますが…」

 

南渓「やはりのお」(ひとりで頷く)

直虎「やはり…とは?」

南渓「あの者、葛山に縁(ゆかり)の者じゃ」

直虎「葛山、と仰いますと?」

南渓「ほれ、今川の駿河は西で北条と接しておろう」

直虎「はい」

南渓「その接するところに広い領地をもつ一族よ。甲斐と駿河を結ぶ街道をおさえておっての。しかもじゃ、御当主の氏元殿はの、今川の重鎮という立場にありながら北条から妻を迎えておるのじゃ。そして娘御を瀬名の若殿に嫁がせておって、大名の間を、まあ、巧みに生きておる。かなりのやり手と言えるかのう。そうしてじゃ、このような物があるのじゃ」

(下の安堵状を見せる)

 

 

 

(大意、多分合っている)

多比(多美)村の龍雲庵の固定資産税や労働奉仕は免除することにします。先代龍光院殿(葛山氏広:氏元は彼の養子)にある通りのこと、ここに確認する次第です。

沼津市多比の龍雲寺に残されている文書より

 

南渓「ほれ、そこに龍雲庵とあろう?それは彼の者の名と同じじゃ。それにの」

(下の安堵状も見せる)

 

 

 

(大意、大体合っているとは思うのだが…)

口野郷の江浦港を利用する伊勢からの船については、小さい船であってもあなたの裁量で取引して構いません。加えて、問屋商売もお任せするのですから、代官への上納は今まで通り怠らぬこと。なにか仕事がある時は、そちらに申し付けます。鉄で碇(鉄錠)を作ったら、ひとつにつき200文の値をつけましょう。そして、漁民や代官と今後とやかくあるようなことがあったなら、前の安堵状に従って決済しなさい。

沼津市の久住家に残されている文書より

 

 

 

南渓「この葛山というのはの。富士の裾野一帯を領地にしながら、かように海の商人との繋がりも深い。聞けば、彼の者の一党は気賀を根城にしているようであるし、海に詳しい者ども、山に詳しい者どもも居るそうではないか。故にじゃ。縁(ゆかり)の者と思うても何の不思議もあるまい。と、なるとじゃ、この縁(えにし)なかなかに面白いものかもしれんのお」

 

直虎「…和尚さま、またしてもお戯れを」

南渓「ありゃま、このごろは直虎殿も賢くなったのお。欺されんかったか」

直虎「あ、当たり前にございます。そもそも、かような安堵状を和尚さまがお持ちなのは何故にございますか。龍雲庵のものは、法門の繋がりと仰るかもしれませぬが、楠見と申すは彼の地の侍にございましょう?おかしいではございませぬか」

 

南渓「いや、これは済まなんだ。じゃがのう、直虎殿よ。龍だの雲だのというのはかようにどこにでもあるような文字じゃ。それだけでこれは縁(ゆかり)があるとか何とかいうのは、早とちりということじゃ。おぬしの話を聞くに、彼の者がただ者でないということは、おそらくそうじゃろう。じゃがの、今はその龍雲丸が、どのような縁(えにし)のものか、あれこれ思い巡らす時ではあるまいと思っての」

直虎「いや、それは和尚さまの方が初めに…。私もそのように思っておりまする。そのようなことに思いを捕らわれるよりも、今はあるがままを受け入れる時だと。どこの何者かなど、いずれ縁(えにし)があれば分かる時が来るのではないかと」

南渓「そうじゃ、そうじゃ。しかしのお、そういう物言いをすると、真の出家に見えるのお」

直虎「和尚さま!」

ニャン渓(ニャー)

 

 

いくつかのサイトには、龍雲丸という字面で寿桂尼の菩提寺である龍雲寺と結びつけて考えるなど、様々な考察があって面白いので、与力さんのブログに、龍潭寺の龍と直虎の位牌のある寺、妙雲寺の雲の二文字をあわせた命名という私なりの説を開陳いたしました。直虎が龍雲丸を待っていた神宮寺と言うのは、現在妙雲寺がある地名であり、近くには渭伊神社もあることから、妙雲寺の前身と考えたからです。ちなみに妙雲というのは、直虎の戒名と言われている「妙雲院殿月船祐圓大姉」からとったものとのことです。

 そして加えて、市内の史料をつらつらと見ているうちに、当地にも龍雲寺(当時は龍雲庵)という臨済宗の寺院があることに気づき、南渓和尚のようにすこし(牽強付会かつ我田引水的な)戯れ言を書き連ねてしまいました。

 

 今後の展開を楽しみにしつつ。

 

【参考文献】

「沼津市史 史料編 古代・中世」沼津市発行(1996