『SHOGUN』ここに在りと世界に知らしめた我らが尊氏さん。この快挙で次回の大河ドラマ再放送枠は『太平記』に決まったようなもの(希望的観測)ですが、現在再放送中の『独眼竜政宗』にも真田さんが出てくるから、それも見ような! ケン・ワタナベと真田広之が共演するドラマとか、今思わなくてもスゲーゼータクなキャスティング。この二人が義理とはいえ親子を演じていたのを海の向こうの方々は御存知なのか気になります。それを伝える意味でも『独眼竜政宗』と『太平記』を世界に発信して欲しいンゴねぇ。意外と過去の大河ドラマのほうが海外ウケはいいと思うんよ。近年の大河ドラマは考証の結果としてクラシカルな時代劇の所作を排する傾向があるので、逆に過去の名作のほうがニーズはあるんじゃあないかな。
今週は大河と、別のドラマの寸感。まずはこちらの記事の感想から大河ネタに入ります。
今年の大河ドラマの脚本家センセのインタビュー。刺激的なタイトルについては私よりも平安期に詳しい友人がんなこたぁないとツッコんでいましたが、個人的には『上役ヨイショ大好きの清少納言と権力批判や人生論も語れる紫式部ではなぁ、作家としてのレェェェェェヴェベルが違ぇぇぇんだよ!(巻き舌)』という発言のほうが気になりました。エッセイストと小説家を同じモノサシで図るのはウサイン・ボルトとイアン・ソープの100㍍のタイムを比べて『ボルトのほうが速い』と宣うようなものではないでしょうか。まぁ、人物の評価自体は個々人の価値観として尊重されるべきですが、本作では脚本家センセがヨイショする紫式部のほうが、
下半身コネクションでスカウトしてくれた権力者のために執筆する
という側面がある描かれ方をされているのは大いなる矛盾ではないかと思う次第。
ただ、興味深いのは三郎との爛れた腐れ縁で表舞台に登場したまひろよりも、純粋に推しの尊さを広めたいという思いで創作に勤しんでいたききょうのほうが、キャラクターとして圧倒的に面白いこと。特に今回、久しぶりに登場したききょうさんの、自分が不在の間の朝廷で『枕草子』に代わって『源氏物語』が覇権書物になっていると知った時のリアクションが最高にいとあはれなのよ。本作は兼家や晴明などの幾人かを除いて登場人物の行動原理の九分九厘がリビドーというところがありまして、男女の営みは兎も角、政治闘争までが下半身由来の欲望で固められているのは如何なものかと思っているのですが、今回のききょうさんは、
ヒット作に嫉妬するクリエイター
という本作のキャラクターが今まで表したことのない感情を剥き出しにしてくれて、それが実に新鮮でした。脚本家センセが『作家として上手』と評したまひろよりも、ききょうのほうがクリエイターのサガを色濃く反映しているのは、創作とは描き手にとっても自身の思い通りにいかないことを如実に表す現象ではないでしょうか。まぁ、私は自分の実体験を元に創作するよりも、未体験の事案への妄想を煮詰めてエンタメに昇華するクリエイターのほうが上と思うタイプなので、本作の『実体験を描く』まひろへの評価が辛くなるのかも知れません。
尚、今回のメインイベントとなった『紫式部日記』をベースにした五十日祝、映像的な評価は別として私は圧倒的否定派。そもそも『この時代に無礼講という概念があったっけ?』という南北朝脳の無粋なツッコミはさて置き、史実通りの展開を意識し過ぎて本作の創作部分との整合性が取れなくなっていました。
誰とは言わんが、まひろと三郎、オメーらだぞ。
如何に史実通りとはいえ、作中のシチュエーションで三郎がまひろに詩を詠ませた挙句、返歌までしまったら『自分たちを只ならぬ関係と勘ぐってくれ』と宣言しているようなものでしょう。バーミリオン会戦までヤンとメシマズさんが両想いと気づかなかった私でも御察しですよ。これ、二人がプラトニックな関係でしたらゲスの勘繰りをする周囲が悪いし、本人たちに隠す気がない公然の秘密であったならば、逆に堂々とした態度と評価も出来るのですが、作中では『不義の子』とかいう両足を下腿骨から切断されるレベルの脛の傷を隠し持つ設定の中年カップルが、男はシタタカに酔った勢いでやらかして『あっ、ふーん(察し)』と気づいて中座したヨッメを見て慌ててフォローに奔り、女は御局上司に『オフィスラブか? オフィスラブなのか?』と詰められるまで事態の深刻さを自覚していなかったとか、まひろも三郎も頭悪過ぎやろ。少なくともどっちかは途中で気づけ。史実に即した表現は大事ですし、史実に囚われない創作も大切ですけど、その両者はキチンと噛み合わせて欲しい。『まひろと三郎の関係が如何なる経緯で倫子さんに露見るか』でワクテカしていた分、こんなボーンヘッドでサスペンスの種が割れてしまうとは一気に醒めたちゃったなぁ。種類は異なるけど、昨年の瀬名の東国共栄圏と同じくらいは醒めたかも。
次はこれ。
田宮太一「ドッキリか?」
またしても何も知らない大泉洋。
日常から突如、不条理な世界に放り込まれた人物を演じさせたら右に出る者はいないにょういずみにょうさん。本作でもその持ち味を存分に発揮していました。ドラマでもバラエティでもコメディアンとして周囲を笑わせるキャラクターを求められる傾向が強いですが、基本的には周囲の状況がトチ狂っているだけで本人は至って真剣という役回りのほうがどうでしょうで培われた本来の凄みが光ると思っていたので、今回の主人公はまさに適任。何気に堤真一との芝居が噛み合っていたのも心地よかった。イケオジであると共に、大泉よりも胡散臭い役回りを演じることの多い堤さん、実は大泉と芝居の相性がいいのかも知れません。
さて、本編ですが、私自身もラストシーンに到達するまで完全に騙されました。そらそうよ。2時間ドラマという長尺ベースとか、謎に豪華過ぎるキャスティングとか、戦後と戦中の価値観の温度差とか、何も知らない若者は時代の空気に染まって戦争に賛成しやすいから我々が導いてやらなければならないという年長者特有のお節介とか、例え僅かでもいいから死にゆく運命の生命を救うために歴史に抗うとか、兎に角、これでもかとばかりに戦争ドラマのセオリーを全部ブッ込んでくるから、てっきり私も『ああ、そっち系の作品ね』と油断ぶっこいていたところで、あのラストですよ。星新一ですよ。アウターゾーンですよ。『世にも奇妙な物語』ですよ。
頭ン中で『トワイライトゾーン』のテーマが鳴りっぱなしですよ。
確かに何度か怪しげな要素はあった(そもそも戦争ドラマなら8・15に放送するよな)けど、結局は最後まで騙されましたよ。作中の『戦争に対する批判的なメッセージ』と思わせる主張の全てが、壮大で唐突なオチに繋がるミスディレクション。戦争ドラマを見慣れているからこそ騙される構成。本作は戦争ドラマのフリをした壮大なドッキリなんよ。もっと言うと本作の直前に放送していた『池上彰のニュースそうだったのか!!』のラストのテーマの『過去最大の防衛費! 日本はミサイル攻撃を受けた場合迎撃だけでなく、反撃もすることも可能になった!』という番組の順番も視聴者に仕掛けられたミスディレクションであると同時に、ちょっとしたネタバレなのよ。確かにオチは滅茶苦茶強引で解釈が分かれる点もあるけど、ラストシーンはいつまでも2度目の記憶に拘泥していると3度目は出鼻で瞬殺されるぞという究極の戦争ドラマ的解釈も可能なので、その意味でも納得。今回、初めて大泉洋の気持ちが頭でなく、心で理解出来た気がしました。
個人的には本作は主人公が初手のミサイル攻撃による失神から目覚めるまでに見た刹那の夢であり、覚醒後に見たメンコや若い頃の母親と若者の姿は負傷による記憶の混乱と幻覚と認識しています。うたた寝している人の首筋に冷えた何かを押し当てたら、びっくりして目を覚まして『今、悪さをして捕まって首を刎ねられる夢を見た』と答えた人がいたという話を何かで読んだ記憶がありますけど、主人公が暮らした一年間もそれに近いんじゃあないかなぁ。如何せんラストシーンで提示された材料が余りにも少ないので、何とも言えないけど、合理的な解釈や政治的なメッセージを読み解くよりも、唐突なオチを楽しんだ者勝ちというのが一番正しいんじゃないかと思います。久しぶりにテレビドラマに『斬られた』という感想。居合でスパッとやられたというよりは受けた太刀ごと示現流で強引に捻じ伏せられたという印象ですけど。
あと、大泉洋と橋爪功の共演を見ていると、いつか大泉には真田幸隆を演じて欲しくなる。