~ Literacy Bar ~

ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。


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過日、日本を訪れた観光客が東京都心で『爆買』したというニュースが揶揄の混じった語り口で各局で放送されていましたが、四半世紀前に海外でブランド品を買い漁る日本人が如何なる目で見られていたかを考えれば、とても、偉そうなコトをいえた義理ではないと思います。彼らにしてみればおまえらがいうなの一言に尽きるでしょう。田子浦にヘドロを垂れ流して稼いだ金銭でゴッホやルノアールを買い漁り、自分が死んだ時には画も一緒に焼いてくれと放言した日本人が、世界中から如何なる批判を浴びたのか、多くの人は忘れてしまっているのかも知れません。外国人に日本の凄さを語らせる薄ら寒い企画を臆面もなくパクりあう前に、TV局には報道するべきことがあるのではないでしょうか。
生臭い話題から入った今回ですが、内容は通常通りの温め感想。しかも短目。題材は2つ。

1.『花燃ゆ』雑感(ネタバレ有)

豊臣秀吉「笑うたら負けよ」

はい、負けました。今週の『花燃ゆ』は大河ドラマの常道、作品のクオリティという観点は兎も角、私個人は不覚にもゲラゲラと笑いながら見てしまいました。松陰と久坂のハイテンション文通コントがいちいち可笑しい。どう見ても煽りコメントにマジレスするコテハンユーザーの構図。久坂を煽る松陰の笑顔が最高に楽しそう。正直、何を描きたいのかが全く判らない本作にあって、今回は両人の手紙の遣り取りをコメディに焼き直そうという、製作者の描きたいことがハッキリしていた描写でした。本作では珍しいオリジナル解釈。勿論、オリジナリティは安定した作風があってこそ映えるものなので、本作の歴史描写の貧弱っぷりを鑑みると一過性の笑いで終わる可能性が濃厚ですが、笑ったからには私の敗北。今季で一番マシな内容でした。

2.『風立ちぬ』雑感(ネタバレ有)

先週の金ローで地上波初放送となった『風立ちぬ』。拙ブログが選出する2013年のラジー賞を受賞した本作ですが、庵野監督の演技がダメなだけで、内容は素直に面白いんですよ。登場人物の感情表現を極力抑え目にして、周囲の現象や事件で彼らが何を思っているかを表現するのは、今では実写でもよう用いられなくなった映画の文法。それでいて、設計図や試作機から脳内でフライトシミュレートを試みる場面の繋ぎ目などは、アニメでしか自然に表現できないようになっている。実写へのコンプレックスとアニメへのプライドを綯交ぜにした情熱で映画を製作し続けた宮さんの最期の長編に相応しい作品。
劇場、DVD、地上波と三回目の視聴でしたが、その度ごとに違う発見があるんですね。今回、一番目を惹いたのが主人公と本庄のラブラブっぷり。二人で脚立に登る場面は薄い本を出してくれといわんばかりの体勢でした。別に宮さんがBL好きというのではなく、画ヅラで男同士の友情を表現しようとしたら、自然と出てくるポージングなんですね。これが穿った見方でないのは、主人公のメガネを外した寝顔を見ているのは家族と妻の他には本庄しかいないということからも明らかだと思います。主人公が心底気を許している相手という意味なんでしょう。庵野監督のダメ演技っぷりがアレな本作ですが、上映当時の記事でも考察したように、宮さんは自分の主張は全部画と動きで表現できるというコトを表明するために庵野監督に白羽の矢をたてたのかも知れません。ちなみに当該記事はこちら。お暇がありましたら、御笑覧下さい&決して内容を真に受けないで下さい。

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まずは先日逝去された坂東三津五郎さんに慎んで哀悼の意を表します。歌舞伎は元より、映画や大河ドラマでも御活躍された方ですが、私が最も印象に残っているのは『古畑任三郎』の棋士・米沢八段。あれは八十助さんの頃でしたか。『将棋で最も美しく隙のない陣形は一番最初の陣形。そこから、勝つために一手ずつ己の陣形を崩していく。だから、負けて必然、勝って偶然なのだ』という台詞は今でも頭に焼きついております。故・石田太郎さんも出演されておられた『汚れた王将』はトリックの稚拙さを除けば古畑史上でも一、二を争う出来でした。

『ダウントン・アビー』と関係ない話のようですが、さにあらず。やっぱりね、何事も最初が肝心なんですよ。一番最初にビシッと完成系、或いは理想像を提示しておけば、それがどんなに崩れても面白い。寧ろ、崩れていく過程のほうが面白い。それは将棋もチェスも物語も同じ。その辺は先回の徒然日記でも記した通りですが、今回も色々な場面でクローリー家というか、貴族社会の風習やシキタリが音もなく崩れていく過程が描かれていました。
私が気になったのは、ロバートがベイツの裁判の件で深夜まで弁護士と電話をしていた場面。コーラも『こんな時間に電話?』と問うたように、今までは夜半近くまで外界と連絡を取りあう場面は滅多になかった。勿論、電話がなかったといわれればそれまでなんですけれども、逆にいうと電話という文明の利器が入ってきた所為で、ロバートの生活リズムは変化を余儀なくされたともいえます。今までの描写から推し測るにロバートが最も忌避するのは自分の領域を侵犯されること。別に頑迷や高慢ゆえの思考ではなく、彼には『自分はかくあるべし』という秩序や美意識がある。そこに踏み込まれると激昂する。ダウントンの敷地を好き勝手に軍病院にされた時も、末娘をカドワカサレタ時もそうでした。前者は空間的、後者は家族関係の領域侵犯ですね。今回の電話は時間という領域への侵犯といえなくもない。しかし、ロバートには特に屈託はない。いや、内心は『何か変な感じだな』とは思っているかも知れませんが、何といってもベイツの人生がかかっているワケですから、利便性のほうが先にたつ。
ここが結構な落とし穴で、先週放送された特番でも語られていたように、当時の英国には貴族の屋敷に仕える労働者がン百万人規模で存在しました。貴族とは平民に仕事を与えるという点で存在自体が公共事業という側面があるワケです。必然、出来得るかぎり、多くの人間を養わなければいけないので、仕事はクオリティ優先で利便性は二の次。それが貴族のステイタス。それは今回の、

ロバート・クローリー「服の脱ぎ着には信頼関係というものが必要だ」

という台詞が象徴しています。でも、今回のような特殊な事態ではそうもいっておられず、利便性を優先した代償に自らの領域が削られてゆく。何度も繰り返しますが、これは利便性の裏返しなんです。言い換えるといいコトと表現してもいい。しかし、それゆえに当事者たちは自分たちの領域が侵犯されていることに容易に気づけない。今までは戦争という凶事に目に見える形で崩されてきたダウントン・アビーの秩序ですが、今回以降は上記のような利便性という吉事に気づかないうちに浸食されてゆくケースが増えていくんじゃないかと予想してみます。

しかし、或いは無意識に気づいているのかも知れません。リチャードが滑稽と評した年末恒例の家族によるジェスチャーゲーム。あれ、実際に見ているとリチャードに同意したくなるんですけれども、そうじゃないんでしょうね。如何に他人の目には滑稽に映ることでも、伝統や恒例を守ることが貴族の矜持、というか存在意義なんです。彼らの領域が戦争や利便性に蚕食されている自覚があるからこそ、リチャードに鼻で笑われても、それらを続ける意味がある。或いは意味を見出そうとしているのかも知れません。ちなみに、

リチャード・カーライル「クリスマスは何時もジェスチャーを? 面白いんですか? 私には滑稽に見えるが……」
ヴァイオレット・クローリー「人生は得てして滑稽なものでしょう? サー・リチャード」
リチャード・カーライル「……私のは違う」


は今回一番好きな場面。グランサム伯爵夫人(前)は毎回美味しい台詞が多過ぎるわ。
尤も、クローリー家の伝統に全く希望がないかといわれるとそうでもない。次期当主となるであろうマシューの物腰や言動は以前の直截さが影を潜めて、メアリーとリチャードの衝突を未然に回避させる気配りができるようになっている。いってしまうと貴族らしくなってきているんですね。以前は嫌悪していた狩りにも参加しているしさ。貴族の時代が斜陽を迎えようとしている時期に、外界から飛び込んできた若者が貴族になろうとする構造も本作の魅力の一つでしょう。今回の狩りではバッスンバッスンと鳥を撃ち落とすというメチャ元気な姿を見せたマシュー。前回までは杖をついて歩いていたんですよね……危うく忘れるところでした。

初めてとなる『ダウントン・アビー』の単品感想記事。サブタイの由来であるベイツの裁判については全く触れない内容になりましたが、まぁ、いいよね? 本作はストーリーよりも背景や雰囲気のほうが大事だと思いますし。次回も感想を書くかどうかは判りません。何せ、毎回毎回、本編の内容が濃厚過ぎるので。

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皆さん、今晩は。明日の『花燃ゆ』の実況を考えると今から頭が痛い与力です。

本当にね、何もコメントする気が起きないくらいに純粋につまらないのな。『GO』や『ぼんくら官兵衛』といった駄作にも、何処が如何悪かったかを分析することで後世の指針になり得たという一点において、辛うじて存在意義はあったと自分で自分を騙せなくもないのですが、今年の大河ドラマはマジで何にもないのよ。これを見て何を感じればいいんだよ。今ではOP映像を見るためと池田さんの美声を聞くためにしか視聴していない気がします。
まぁ、番組に対する視聴者の評判も芳しくないということは全く妥当な反応だと思いますが、しかし、その批判の内容がもっと酷いケースがあるのも大河ドラマの恒例行事。これとかね。

「『花燃ゆ』が見習うべき、2つの女子ドラマ」

もう、タイトルを読んだだけでロクでもない内容と想像できますが、内容も充分に斜め上でした。ヒロインは兎も角、吉田松陰や高杉晋作をマイナーな人物と斬り捨てる価値観は常人のよくする所ではありません。勿論、正気ではないという意味で。これも毎年思うことですが、こんな記事を書いてギャラを貰っている奴が存在するという事実は、日本の経済は安定している傍証といえるでしょう。まぁ、そんな冗談は兎も角、こんな記事には大河ドラマの視聴者として、今年の作品以上に批判の声をあげなければいけないと思っていたところ、

deluxeさんがキッチリ断罪して下さいました。

読んでてスカッとしちゃった! 上記の記事の何処が如何狂っているのか、これを読めば全て判ります。抜刀術の達人を思わせるdeluxeさんの記事は必見。本編とは直接に関係ない話題から入る今回の感想記事。ポイントは3つ。

1.アバンタイトル

馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何


ジェームス三木さんが仰るように、伊達政宗の漢詩の中で最も有名なもの。山川が西南戦争に際して読んだ句が示すように詩は人を表すものです。伊達政宗を知ろうとする際には、この漢詩を理解するに若くはありません。これもジェームス三木さんが仰ったように、

『若い頃には色々とヤンチャしたけれども、何とか生き残ったワケだし、余生を楽しく過ごしてやろう』

という解釈と、

『若い頃から頑張ってきたのに遂に天下を獲れなかった。何とか生き永らえたけれども、ちっとも楽しくない』

という読解。何れも成立し得ますね。本人の真意は後者でも、世間的には前者で通ずる形式に整えてある。如何にも政宗がやりそうな手段ですな。こういう解釈は普通、登場人物の描写を通じて視聴者に訴えかけるもの。少なくとも、アバンタイトルで解説するのは通常の場合、安直の誹りを免れ得ません。しかし、本作は本編の出来が生半可な歴史の解説よりも面白いので問題なし。今回も歴史イベントが殆ど描かれない内容にも拘わらず、凄く面白かったよ。これを見ても『大河視聴者は史実重視』なんて意見はナンセンスだというのが判ります。

2.終活

気がついたら、本編の半分終わっていた。

片倉親子の確執と和解、小十郎(老)の遺言、成実の養子縁組といった前半パートの面白さは異常。カウンターを見ると二十二分も経過しているのな。面白い作劇には『中身の濃い話を短時間に凝縮させる』のと『エンタメに徹してアッという間に時間が過ぎ去る』の二種類があると思うんですけれども、今回は後者。前者が題材への研究心が問われるのに対して、後者は作劇家の基本能力が問われるんじゃないかと思います。格別にダイナミックな動きがない内容を視聴者に飽きさせずに伝えるには、基本がしっかりしていないとできないでしょう。この辺は芝居も脚本も同じ。
前半の主題は昨今、マスコミが話題にしている終活でしょうか。先々回では死者への敬意をマスターした主人公ですが、今回以降は自らの死を念頭に置いた動きを見せ始めます。自らの没後も伊達家が栄えるようにという実利的な計算と、潔い気持ちで死を迎えたいという観念上の欲求。特に前者は小十郎(老)が話題にしていたように御隣の最上さん家は、これに失敗したばかりに改易を憂き目を見ることになるワケで、死の床に瀕していても小十郎(老)の炯眼に些かの衰えもないことが窺えます。
しかし、個人的に興味を惹いたのは後者。要するに『ママンと仲直りしろよ』ということですが、私が勘繰るに小十郎(若)との確執は他人の家の親子騒動を見せつけることで、主君の自省を促す&和解の予行演習にさせる意図があったのかも。つまり、

片倉景綱(白石城の敷居を)跨ぐなよコラァ! 跨ぐな、跨ぐなよ! 蔦、跨がせるな!」

という一連の騒動は小十郎親子が自ら仕組んだブックだったんだよ! こちらも死の床に瀕していても小十郎(老)の智謀に些かの衰えもないことが窺えます。いや、そんなワケありませんが。
もう一つ、気になったのは小十郎(老)から政宗に託された笛。小十郎(老)が輝宗に仕える契機になった逸話を思い出すと当然の流れなんですが、家康が忠輝に『野風』を託した件とリンクするんでしょうか。

3.大人になる

伊達政宗「わしは齢五十にして、漸く悟った。詰まるところ、人が天下を選ぶのではない。天下が人を選ぶのだ」

先回までは成実や家康といった限られた人々にしか明かしていなかった『天下取りの断念』を遂に公言した主人公。まぁ、この台詞のみを抜き書きすると、

豊臣秀吉「気づくのが遅い」
蒲生氏郷「四半世紀前に悟れ」
松平忠輝「俺の立場はどうなる?」


といわれても仕方のない内容かも知れませんが、しかし、視聴者としては充分納得できる。本当に諦めの悪い男でしたからねぇ。それでも、先回の感想でも述べたように政宗一人が天下を諦めたからといって、それで全てが丸く収まるワケではない。既に政宗の目標は天下から太平へと移っていますが、それを志向するのもキレイゴトではすまない事案がゴロゴロと転がっている。

政宗は自分に似たDQNで可愛い婿殿&南蛮に使いに出した部下を見放さねばいけない。
鈴木重信は藩の財政健全化のために『ない袖』を是が非でも振らなければいけない。
五郎八姫は夫の生命を助けるために自らの夫婦愛や信仰と折り合いをつけなけれないけない。
愛姫は夫の家族の確執を解くために自分の実母と邂逅する機会を喪わなければいけない。

これを言い換えるとやりたいことのために頑張るのではなく、しなければいけないことに尽力する。それが大人になるということですね。特に五郎八姫の姿は実に痛ましかった。彼女は上記の他の三名と違い、まだまだ若いですから、自分の知恵や力で現実と折り合いをつける術を心得ていない。それゆえに『デウスのお告げがあった』という夢に縋らなければいけない。ある種の無意識の自己欺瞞なんでしょうけれども、それを愚かと斬り捨てることのできるのは余程の幸せ者か、本当の意味で他人や世間と関わっていないかのどちらかでしょう。おまえのことだよ、諭吉。

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