明日から立川大会です。
ジャパンビーチバレーボールツアー2020サテライト大成温調シリーズ東京大会大成温調カップは準優勝でした!
今大会も応援ありがとうございました。
写真、笑顔してるつもりでしたが全然できていませんでした。すみません。未熟者です。
#笑顔してるって何
#夏してる的な
コロナ禍の開催で、運営スタッフの皆様にはいつも以上に負荷がかかっているかと思います。
いつもありがとうございます。
ただ、ありがとうございますだなんて言葉では簡単に言えて、僕たちがそれを示せるのはコートの上だけです。
運営に携わってよかった、今回観客はいませんでしたが、見にきてよかったと思われる試合ができるよう、技術、そして人間力を高めていきます。
ありがとうばかりではなく、ありがとうと言われるような人間、選手でありたいです。
今回試合をしてくださった、また試合はしなかったけれども出場した全ての選手に有り難さを感じます。
全ての選手の計り知れない努力があるから、僕たちは試合で力を試すことができます。そしてそこに、「何か」が生まれます。
尊いです、ありがたいです。
勝負の世界は甘くない、うまくいかないことの方が多い。
みんなが努力をしているから。
でもだからこそ勝利に「結果的に」意味が出てくると、僕は思うんですね。
誰も努力せず、本気にならなければ、自分たちは試合さえできないし、自分たちに価値を見出すこともできません。
だから、有難い。ありがたい。
どんな形になってしまおうとも、全力でぶつかってきてもらえることは有難いことだと実感します。
だから僕は全ての選手を尊重します、尊敬しています。
あの会場にいる誰一人として欠けていたら、あの大会はあの大会ではないわけです。
だから尊い。
準優勝という結果だって、あそこにいる全員がいたから成り立つ結果で、僕たちはそれで評価してもらえます。
有難い、ありがとう。
あんまりSNSでいうのは好きな言葉じゃないんですけど、それ以外の言葉がないんです。
だから、ありがとう。
このたび、
有限会社N&N corporation 様
中部土木株式会社 様
とパートナー契約を締結いたしました。
こちらの企業様のことについては今後じっくりと、私の活動を絡めながらご紹介していければと思います。
このようなご時世の中、こうして契約をしていただけることは本当に有難いことです。
ただ、僕はこういったとき、自分の活動にご理解をいただけることに対し、またそこに価値があると感じていただけたことに対し、そしてこうして実際にアクションを起こしていただけたことに対し「有難い」という気持ちは常に持っていますが、一アスリートとして、そして一社会人として、一人間として、「ありがとうございます」で終わるようなことはあってはいけないと心から思っています。
それは短い期間、そして未熟ではありますがプロとして活動してきた中で学んできたことです。
スポンサーや協賛と聞くと、「応援していただく」というようなニュアンスに聞こえたり、アスリート側も、そう認識してしまいがちな気がしています。また、もしかしたら「応援してあげている」という意識の企業もあるかもしれませんね。
それでは「契約」は成り立ちません。
「応援」で渡すお金はただの寄付です。そこから良い関係は生まれません。
社会のお仕事は、双方にメリットがあるから契約が成り立つはずです。
アスリートと企業だって、同じですよね。
言葉尻を捕らえる事は個人的には好きではないですが、スポンサー、協賛という言葉からは、僕はどうしてもwin-winなイメージが湧かないんです。
だから、少し気難しいかもしれませんが、ここでは勝手に「パートナー契約」と表現させていただきました。(事実上はスポンサー契約かとは思いますが)
ただその言葉にかける思いはぜひ皆さんにも知っておいていただきたいと思いました。
有難い、ありがとうって素敵な言葉ですけれど、時に、それさえ言っておけばいいよねみたいな時があるような気がしていて。
僕は一個人としてはもっと大切な言葉にしたいなと思いますし、僕はありがとうと言われる仕事をしたいです。いや、したいですではなくて、必ずするんです。それができるから、僕はハンコを押したわけですし、できると思っていただけたから、ハンコを押してもらえたわけですから。
アスリートがスポーツをやっていればいい時代はとっくに終わっていて、僕もその時代に生きる一人です。
だからこそたくさん学んで、色々な角度から、パートナー様に、そして社会に貢献できる人物になれるよう精進します。
明日は、新しいパートナー企業様と挑む初の大会です。
まずは自分達の力を出し切れるよう精一杯プレーします!!
※撮影時だけマスクを外しました
自分が困ったときに、たくさんの人が助けてくださって、そして今も助けられながら僕は選手として活動できています。
それはひと時も忘れてはいけなくて、次は自分が困っている人を助ける番だ、と思っています。
結局人は人との関わりの中でしか生きていけなくて、自分がより豊かな人生を歩みたいと思うのなら、他人の人生をより豊かにするような行動をするのがいちばんの近道なんだろうなと、僕は考えていて。
僕は意外と(?)人が幸せそうにしていたり、笑顔を見るのが好きです。だからこそ、僕はまず身近な人から幸せにしたいなと思っています。
僕の身近な人だって、同じように周りの人が幸せそうにしていたり、笑顔だったりしたほうが嬉しいに決まっていて、だからこそ僕は僕のために、そして人のために、常に幸せでいたい。
僕の場合は、競技活動で人を笑顔にできたり心を動かすようなことができれば一番いいですけど、「僕のプレーでみなさんに勇気を与える」だなんて教科書みたいなセリフ、僕にはおこがましくてとてもじゃないけど言えません。
ですから、僕は選手としてコート内でいいプレーをするのは当たり前なんですけど、それだけではなくて、コートの外でも、まずは近くにいる人から大事にしていきたい、少しでも幸せになってもらいたいな、なんて思うんです。
あまり無理はせず、でもやれるだけのこと、たとえ遠くても困っている人がいれば、すごく小さな力しかないけれど助けにいきたい。
なぜなら僕自身がたくさんの人に助けられてきたからです。
小さな脳みそですけど、フル回転して、今できるすべてのことを、思いつくすべてのことをやっていきたいと思います。
これを読んでいる方は少なからず僕を応援してくださっていると思います。
必ずその恩は返しにいきます!
そんな決意を綴るだけのブログはオチもなくこれで終わりです。
ありがとうございました。笑
歳をとると涙もろくなるとはよく聞くけれど、20代の時はよくわからなかったし考えたこともなくて。
でも御歳33になるワタクシ、しっかり涙もろくなりました。
具体的には、松浦亜弥のライブ映像見て泣き、次はJUDY AND MARYのライブ映像を見て泣いています。笑
当時なんとなく見聞きしていたアーティスト、曲なんですけれど、歳をとってその凄さに気づくわけです。
そして、涙が出るわけです。
それはなぜかと考えると、やはり生きてきた年月分だけ、経験をしてきたからだと僕は思います。
33年も生きたけれど、自分が何者かになれたかというと悔しいけれどなれていなくて、じゃああれだけの人を魅了した松浦亜弥やJUDY AND MARYの努力と才能ってどんだけ半端じゃないんだよってことを理解することができるようになったわけですね。
だから、涙が出る。
これと似たようなことで、お母さんってなんでこんなに心配性なんだろうって思っていたけど、歳をとればとるほどいろんな人がいることを知るわけで、いろんなニュースや事故も知るわけで、それが蓄積された結果、自分の子が何をするにも心配になるということなんでしょう。
人は生きれば生きるだけ、経験を積めば積むだけ感受性が豊かになると言えそうです。
そして、他人にも優しくなれるのだと僕は思います。
僕は、ただなんとなく生きるのではなくて、たくさんのことを経験して、勉強して、たくさんのことを知る努力をするべきだと思っていて、1人で生きていくのならいいけれど、人は支え合ってなんとか生きていけるわけですから、もはや学ぶことは義務なんじゃないかと思うくらいです。
とまぁ話は派生しましたが、当時感じられなかったことが今感じられるようになったのは、大人になったのかもしれないなぁなんて思う秋の夕方です。笑
すっかり肌寒くなったので、皆様くれぐれも体調にはお気をつけください。
ジャパンビーチゲームズ®フェスティバル千葉2020 ビーチバレー千葉市長杯は3位タイで終えました。
まずはこのような状況の中試合ができることへの感謝を伝えたいと思います。
関わった全ての方に感謝申し上げます。
ここからは試合の感想。
なによりも、久しぶりすぎていろいろな面で混乱しました。笑
前日の準備、当日のルーティン、すべてにおいてもうどうやっていたか思い出すのに必死で、落ちがないか大変怖かったですが、いつも以上に注意したためか、結果的に抜けはありませんでした。笑
ボールは触っていても、試合の緊張感というのはどうしても練習では再現できなくて、もちろん工夫していますが、やはり試合は試合です。
そんな中で僕が面白いと思ったのは、技術だけでなく、メンタルも衰えるということですね。
我慢できなくなったりイラついたりするのは人間誰でもあることですが、そこに対する感情のコントロールにもやはり耐性みたいのがあって、鍛えていないと衰えるんだなぁというのは大きな気づきでした。
この辺も含めて思い出しながらやっていく感じで、そこも楽しみながらやっていけたらなんて思っています。
とは言えどのチームも同じような状況で戦っていると思うので、その中で勝ったチームは本当に素晴らしいです。
今回明確になった課題には解決にしっかり取り組んで、いいところはさらに伸ばして、次に向けて最善の努力をします。
今回もたくさんの応援、ありがとうございました🙇♂️
「楽しむ」という字は簡単に書けるけれど、実際に何かを楽しむということは、とてもとても難しいことで。
ただ、競技をしていてやっぱり良い時、強い時は、楽しめている時だと僕は思っています。
また、ビーチバレーは楽しいものだと発信し、それをたくさんの人に伝えたいと主張している身としては、やはり苦しい顔ばかりして競技するわけにはいきません。笑
でも、そこは常に苦しめようとしてくる相手がいるわけですから、簡単なことではないんですね。
だからこそ、うまくいかない時、苦しい時でも楽しそうにプレーする選手は魅力的に見えるのだと思います。
「楽しむこと」について考えたとき、競技者が経験するフェーズは3段階あると僕は考えています。
無条件に楽しめる段階
楽しめなくなる段階
乗り越えて、楽しめる段階
この3段階です。
要は、始めたばかりの頃は嫌でも上達するし楽しいけれど、それが止まったとき、楽しめなくなるんですね。ただ、それを乗り越えて楽しめる人もいるし、その状態が一番強いんだと、僕は思うわけです。
ただ、その境地にたどり着ける人がどれだけいるでしょうか。
先週末、名古屋のイベントに出演し、キラキラした目でビーチバレーをプレーし、コートが使える時間があればすかさず練習する中高生のプレーヤーを見て、今僕はどんな目をしてコートに立っているのだろうと、物思いにふけりました。
参加した中高生は、イベント終了後も僕のところに来てたくさんの質問をしてくれたんです。
自分より経験がある人に、質問やアドバイスを求めることにとってもとっても勇気がいることを、僕は知っています。
それでもとにかく上手くなりたくて、僕のところに来てくれた子たちの目は、間違いなく輝いていました。
こういうイベントにゲストとして参加させていただくことがありますが、いつもこうしてギフトをもらって帰ります。
彼らの姿は本当に本当に僕が目指している姿なんですね。
もちろん彼らが競技を続けていけば、楽しいことばかりではないことは、最初にお話しした通りです。
「楽しむ」こととはきっと、いいことも辛いことも、好きなことも嫌いなことも、受け入れて感じていくことなんですね。
恋から愛に、じゃないですけど、全てを受け入れてこそ楽しめるのだと、僕は思います。
イベントを開催してくださった関係者の皆様、参加してくださった学生の皆さん、観戦していただいた方々、直接お伝えできず申し訳ございませんが、本当にありがとうございました。
街を歩けば全員がマスクしている夏。
東京オリンピックのない2020年夏。
シンプルに、誰が想像したでしょうか。
前回のブログで、僕がコロナがなければ、最後の挑戦をすることなく目標を諦めるしかなかったというお話をしました。
プロになって4年、ビーチバレーを始めてからは、10年弱?バレーボールを始めてからは20年以上。今思えばとてもとても長い時間です。
何となく始めたバレーボールでしたが、ここまで長くやると、最後はどんな形で終えることができるだろうかと、いや、絶対にやっててよかったなと、そう思える形で終わりたいな、とは薄々ですが思っていました。
2019年は、僕は色々なペアと組み、五輪出場条件を満たすだけのポイントを個人的に獲得するために動きました。ということも前回のブログで伝えましたね。
そしてペアが見つからぬまま、2020年を迎えた訳です。
自分の20年のバレーボールに費やした時間の対価はこんなもんだったのか、、、
挑戦さえもさせてもらえないのか、、、
やはり自分にとっては大きすぎた目標だったのか、、、
勘違い野郎だったなぁ、、、
応援してくれた人に申し訳ないなぁ、、、
なんか他のこと頑張ればよかったかなぁ、、、
と、バレーボールをしてきたすべての時間、自分の選択、そういったものをすべて否定されたようなそんな気持ちに、、、、
不思議となりませんでした。笑
確かに残念だなぁと、悔しいなあと、思いました。
まぁそりゃ誰かと比べたりすればお前なんか全然頑張ってねぇだろとか思われたりすると思うんですけど、僕には「やってきた」自負があったんですね。
小学校の流しにもジフはありましたね。
これじゃないです。
これで綺麗さっぱり流しちゃいましょう、とかそういう意味でもないです。
冗談はさておき、僕は、やれるだけやって、自分の実力ではここで結果が出ただけだね、と受け入れ態勢ヒァウィゴーでした。(どゆこと?)
切なかったですけどね。
非常に、非常に。
見当違いの夢を見た10年だったんだなぁと。
と、そんなことしてる間にコロナが来て、オリンピックは延期になって、、、
ただ、ペアはいないけれど、自粛期間中もあきらめず粛々とトレーニングは続けていました。
今思うと、そのトレーニングや練習は、僕の基礎技術を底上げしました。
新しいものが見えたんですね。
とは言え一年ペア待ちでこのままやるのか辛いなぁと思っていたら、紆余曲折(深い)あり、今のペアが組んでくれることになりました。
一度、僕は地の底を見ました。
やってきた自負はあった、諦めはついていたとは言いつつも、ドアもない、暗くて寒くて狭い部屋に閉じ込められてしまったような感覚はそこに確かにあって、僕はそれを一度味わっているんですね。
それは僕の血となり肉となり、今では大きな武器になっていると感じています。
その上フリーになってとてもとてもハングリーです。
あなたの一点と、俺の一点は違いますよ。
あなたの一円と、俺の一円も。これは言わんでいいんか。
ちなみに今日は僕の33歳の誕生日です!
皆さんありがとうございます😊😊😊😊😊😊😊😊😊🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥
僕は人に助けてもらうことに恥ずかしさはありません!
むしろ困ったら助けてもらえる人柄を持ちたいです。
そして困った人がいたら助けます。
そういうことです。
先日某スポーツ誌の方に取材をしていただき、自分の事をお話しする中で、より自分の置かれた状況やそれに対しての思いが明確になったので、ここにも書いておこうかと思い。
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▼自分の置かれた状況
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簡単に言うと、僕は新型コロナウィルスの影響で五輪が1年延期になったことにより、夢を諦めずに済んだ人間です。
五輪を目前に控えたタイミングで、僕はポイント的にそれを目指せるペアと組めていませんでした。
ですから、2019年に関しては、ペアをその都度変えながら、何とかポイントを獲得し、わずかな可能性を信じて過ごす日々でした。
そしてついにその状況は変わらず、僕は五輪代表決定戦にさえ挑戦することもなく終わりを迎えようとしていたのです。
そんな状況でしたから、所属先にも、退社の意向を伝え、その手続きもほぼ完了していました。
が、その矢先です。
新型コロナウィルスの影響で、五輪の延期が決まりました。
さらに、ペアの組み替えがあり、今のパートナーが組んでくれることになりました。
新型コロナウィルスの影響がなければ、こんなことにはなっていなかったはずです。
ただ、たくさんの方が苦しんでいる状況ですから、手放しに喜べることではありません。
ただ、そこにその現実があるだけです。
僕はまた夢に向かって努力するのみです。
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▼僕の思い
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このような状況の中で、たくさんの方が僕を助けてくれます。個人サポーターで支援してくださる方、スポンサー探してみるねと言ってくださる方、頑張ってと言ってくれる方、、、この状況になって、いつも以上にそれを感じます。
新型コロナウィルスはたくさんの方からたくさんの物を奪いましたが、きっとその中で、人の温かみを感じた方も多いのではないでしょうか。
僕もその一人です。
特にプロとして活動し始めたここ4年間(今はフリーですが)、たくさんの方の想いがあってこそ、今の僕があります。ですから、離れてしまったけれど、前所属先の方々の想いも、僕は絶対に背中に乗せてコートに立ち続けるつもりです。
ここまで来ると、自分が五輪に行きたいだとか、行ったらどうなるだとか、ほぼほぼどうでもいいとさえ思います。
僕は、僕を支えてくれているたくさんの人の想いに応えたい。ただそれだけです。
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▼僕に今なにができるか
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僕に今一番必要なことは、思いを伝えることだと思っています。人の心を動かせなければ、応援してもらえることもありません。応援してもらえなければ、僕は選手として強くなっていくことができません。
練習頑張る、トレーニング頑張る、そんなことは当たり前です。
プラスアルファ僕がどんな人間で、なにがしたいのか、どうなりたいのか。こうして文字でもいいから、伝えていくことが大事だと思っています。
また、いつどこを切り取っても真っ直ぐで、クリーンな行動をできる人間でありたいです。いや、そうでなければなりません。
五輪を目指す一スポーツ選手として、社会に与える影響は、過大評価して自覚しておく必要があります。
そもそもそれを自覚できていない選手なんて、誰も応援しないでしょう。
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▼最後に
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僕はいかなる時も支えてくださった方、支えてくださる方の想いを忘れません。
また、さらに応援していただけるよう、自分の思いを伝え続けます。
そして最後には、必ずたくさんの方の想いを乗せて五輪の舞台に立ちます。
引き続き応援よろしくお願いします。
僕は無駄のないものが好きです。
ある目的のためだけに作られ、ストイックに追求されたモノ、コトに感動します、そしてかっこいいと思います。
例えるなら、F-1のマシンのような、機能を追求したら、こういう形になったよね、みたいなモノですね。
無駄のないモノからは、知性を感じ、美しさを感じます。
そこで思い浮かぶワードが、「品」。
僕はおそらく、無駄が省かれ、効率化され、最適化されたモノ、コト、人の行動、動きに品を感じます。
そこで今日は、「品」について考えてみたいと思います。
#清水大学
「品」の意味をネットで調べました。
人や物にそなわっている、好ましい品格・品質。
よくわかりませんね。(わざわざ書いた意味)
僕が考える定義は先ほど述べましたね。
品は、生活にも表れるし、プレーにも表れると思っています。
バレーが上手な人の動きは、一切の無駄がなく、ぼくは「品」を感じます。
そろそろ品がゲシュタルト崩壊してきましたね?
品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品品
スペースインベーダーみたいですね。(歳がバレる)
無駄な会話でした。
品のないブログです。
少し話はずれますが、僕は、普段の生活態度が、コートでも出る、と言われてバレーを教わってきました。
小学生の時に言われても「?」でしたし、関係ないじゃんって思っていたけど、32歳になって、その意味がよくわかります。(歳言うんかい)
今は僕の感覚の中で、生活を整えることで仕事の成果が上がるという感覚が確かにあります。
生活を効率化することで、仕事の効率や生産性も間違いなく上がります。
とは言え僕は甘やかされて育ったので、とにかく雑です。
死ななきゃいいだろと思っている節があります。
部屋が散らかっていたって死にはしないけれど、確実にストレスを溜めるのは自分ですし、モノが見つからなくて無駄な時間を過ごしているのも自分です。
そんなことが分かり始めて頑張ってはいるのですが、僕より育ちの良い妻からすると、まだまだ僕の生活レベルは地を這うような低さのようです、反省。
と、そんな雑さは自分に染み付いているものですから、コートでもそんな振る舞いになるのは間違い無くある、というのが僕の考えになりました。
だからこそ、僕は品のある人になりたいと考えるようになりました。
小学生の時なんであんなに靴を揃えろと言われたのか、服を畳めと言われたのか、どうせ洗う旅館のシーツをピシッと畳んでそこを後にしたのか。
32歳になってやっとわかります。
(9月5日に33歳になります。)
ただね、品のない人をダメだと言ってるわけではないですよ。
その人の生き方がありますから。
ただ、人を不快にするような品のなさは、僕は好きではありませんが。
僕が品のない行動をしていたら、迷わず突っ込んでください。
あ、あと、何回も言いますが、9月5日で33歳になります。
何回も言わせないでください。
そして僕が何か言いたいかは、自分で考えてください。
#品がねぇな
#そんでタイトルも無駄多いな
#言葉遣いも気を付けろな