ビーチバレーって。 | ビーチバレー 清水啓輔のブログ
日本でポピュラーなバレーボールを軸に考えると、ビーチバレーには非常に特殊な側面があります。





僕は個人的に、バレーボールは日本的で、ビーチバレーはそうではないと感じています。





その理由を説明します。




あくまで個人的な感覚ですが、長の言うことを聞き、前に習えで進んでいく事は日本人は得意だと思っていて、なぜなら僕たちはそんな教育を受けてきたように感じているからです。



そして、バレーボールは6人がそれぞれの役割を監督に任命され、それを全うする事が求められます。
競技特性上、サッカーなどのスポーツほどコートの中で自由度が高いわけでもないため、型にはまっていく傾向が強いと僕は考えています。




このように、僕たちが受けてきた教育を再現する場として、なかなかに適切な要素を持っているところが、バレーボールが日本的だなと思う理由です。





逆に、ビーチバレーはどうかというと。




まず、基本的に選手同士が考えてチームを作ります。




よく聞かれますが、恋人が結ばれるように、告白してオッケーしてみたいな感じでペアが結成されます。




さらに、そのペアが自分たちで監督を決めます。




むしろ、監督がいないチームもあります。



それは競技特性上、ルール的に監督は必要ないですし、基本的には試合中にベンチでアドバイスする事ができないという点からも、その理由がご理解頂けるかと思います。




長の言うことについていくのではなく、なんなら選手が長を決める、いや、そもそもビーチバレー選手の感覚としては、監督を長だという感覚はなくあくまで主役は自分たちです。




また、コートに2人しかいないため、あらゆるプレーを求められますし、コート内での動きの自由度も、バレーボールよりは高いでしょう。



ビーチバレーは、コート内外において、自分たちで考え、動いていく必要が(競技特性上)あるのです。
(もちろん、バレーボールでも必要ですが)




このような意味では、ビーチバレーは日本的でないと僕は考えています。




前に習えを求められてきた僕たちは、長がいない状況にまず困惑します。




ですから、ビーチバレーには、技術的な適応も求められますが、こうしたそもそもの根底の環境に適応する能力も同じくらい求められるというのが僕の持論です。





例えば、バレーボールのコミュニティの中、そして日本人のコミュニティの中で浮いていた人間がビーチバレーでは活躍する、というのは、全然あり得る話です。




※ここでは、日本の教育がいいとか悪いとか、バレーボールがいいとか悪いとか、そういう話はしていませんよ。




ここまで説明したことは、日本でビーチバレーが流行らない理由にも関係すると思っていて、現にビーチバレーを毛嫌いするバレーボールの指導者もいます。そして、その気持ちも十分にわかります。



ただ、ビーチバレーの良さは僕もよくわかっていますし、この辺りたくさんの人に理解してもらって、もっとビーチバレーの競技人口を増やしていきたいと思っています。






そして、実はここが今日一番言いたいところなんですが、一度決めたことはやり通すことを美徳とする日本人にとって(これも僕の感覚ですね)、ペアがコロコロ変わる日本のビーチバレーチームの現状は、なかなか受け入れられませんし、説明がしにくいと感じます。




昨日の仲間は今日の敵、そして逆も然り。




なんとも日本人には受け入れ難く、そして応援しづらい。。。




ただ、説明した通り、選手が主体となって動いている以上、これは当然起こり得ることです。




それはそういうもんなんだ、あまり深く考えず、ただ事実として理解していただければ幸いです。



もちろん僕たちも、決意を持ってペアを組んでいます。



が、ポイントシステムなど様々な事を考慮すると組替え不可避なこともあります。



現に僕も去年はペア組替え、もしくはスポットでペアを組んで参戦したりしています。



それはまさしくポイント奪取の目的があったからです。




と、前置きが長くなりましたが、(むしろついでみたいになってますが
この度、






彼とは過去にもペアを組んでいます。




4年越しですね。



チームのアピールポイントなどは、これからまた発信していきたいですし、もちろんコートの中でも表現しますよ。






二人の応援、よろしくお願いします。


こちらもよろしくお願いします。