徳島城訪問レポートその2です。
城山の東側登山道から本丸を目指します。
本丸
本丸はとても広い空間になっています。親子がサッカーに興じていました。
中央には御座敷と呼ばれた藩主専用の御殿と御城山定番の詰めた御留守番所のほか、隅には弓櫓、馬具櫓、武具櫓、火縄櫓などの武器庫が設けられていました。
本丸の出入り口は東西の門が使われましたが、北口には藩主の非常時に脱出するための「埋門」がありました。
弓櫓跡
本丸の西を守る櫓台です。
築城時最初に天守があった場所と考えられています。
昭和初期には時報を知らせるために撃つ大砲(午砲)が設置されていました。
西二の丸跡
鉄砲櫓と帳櫓などが建っていた曲輪。現在は広場になっています。
帳櫓(とばりやぐら)跡
櫓台には巨石がはめこまれています。
西三の丸から西二の丸への虎口を防衛する役目を担っていました。
「帳(とばり)とは、戸張の意で、転じて、物を隔て区切るもの、覆い隠して見えなくするものの例え」という意味ですが、お城の櫓の名前としてはあまり見たことがありません。
西三の丸
この石碑の向こう側(柵の下)が西三の丸で、番所や材木櫓などがありました。
現在は配水池になっています。
さらに、その向こうは西の丸で、現在は内町小学校やテニスコートがあります。
藩祖家政が隠居してからは、元藩主の隠居屋敷がありました。
現在、徳島県庁や市役所など合同庁舎や体育館がある場所は御花畠(おはなばたけ)と呼ばれ、江戸初期は川と堀に三方を囲まれた半島だったそうです
西側石垣
こちら側は東側よりあとに造られた打込み接ぎの石垣です。
江戸時代ははこちらが大手筋だったようです。
城山を降りてくると公園内には古いSLが展示されていました。
私はまったく鉄道に明るくないのですが、
1923年から県内の市街地や山間部を走り続け、1969年に徳島~小松島間の運行を最後に役目を終えた8620型という蒸気機関車だそうです。
ちなみに人気のアニメ映画「鬼滅の刃・無限列車編」に登場する車両と同じ形式ということで近年多くの鬼滅ファンが訪れて写真を撮っているとか。
実際に機関室内に入ることもできます。
蜂須賀家政公銅像
公園の中央には、藩祖・蜂須賀家政公の銅像が建っています。
徳島城の築城にあわせて、城下町の整備にも力を注ぎ、現在の徳島市の基礎を作りました。
一説によれば、城が完成したときに、家政がこれを喜んで、領民に「完成祝いとして好きに踊るように」と触れを出したことが阿波踊りの発祥ともいわれています。
日が暮れてきたので一旦、ここまでで公園をあとにしました。
この日は徳島市内に泊まったので、次の日の朝一番で前日見られなかった博物館と庭園を見学するために再び徳島中央公園を訪れました。
千秋閣庭園(旧徳島城表御殿庭園)
国指定の名勝であるこの庭園は、藩主蜂須賀公の表書院の庭として造られました。
造ったのは利休七哲と呼ばれる千利休門下生の一人・上田宗箇(そうこ)。
この表御殿庭園の他にも、広島城の縮景園、名古屋城の二の丸庭園などを手掛けています。
枯山水と築山泉水庭の二庭からなる桃山様式の庭園です。
この池は、その形から「心字池」と呼ばれています。
江戸時代は助任川と地下で繋がっており、潮の満ち引きによる水位の上下で池の景観にも変化が出るように工夫されていたとか。
回遊式で園内の散策が楽しめます。
徳島城博物館
表御殿跡に建てられている市立博物館です。外観は大名御殿を模しているので、庭園と景観がマッチしています。
内部は徳島藩と蜂須賀家に関する資料や美術工芸品などが展示されています。
鯱瓦
どの建物にあがっていたのかは不明ですが、旧徳島城の鯱が博物館の建物脇に展示されていました。
城山の貝塚
表御殿庭園の裏側の山裾にあります。
約4000年前の縄文時代後期の洞窟跡で、大正11年(1922)に発見されました。
貝のほか、縄文土器などが出土しています。
再び鷲の門
前日は逆光だったので、あらためて正面から写真を撮り直しました。
眉山からのぞむ徳島城跡
最後に眉山ロープウェイから望む徳島城跡です。
眉山は標高290m、その山の形が眉に似ていることから名づけられたといわれ、古くは万葉集にも詠まれた徳島のシンボルです。
ちょうど雨上がりとあって虹が出ていました。
さだまさしさん原作の映画「眉山」
2007年に公開されたものですが、いまだにポスターが貼ってありました。松嶋菜々子さんが主演でした。昔見ましたが、心に染みるとてもいい映画でした。