兵庫県淡路島、洲本市にある洲本城
訪問レポートその2です。
洲本は元々は「須本」とあらわされ、元和元年(1615)大坂夏の陣のあとに「洲本」と改められたと伝わっています。
模擬天守
本来の洲本城の天守は絵図にも残されておらず、どのような外観だったかは不明です。
洲本城にもとあった天守は脇坂安治が伊予国に転封になった際に、大洲城に移築されたという説がありますが、それを裏付ける確かな史料は残されていません。
このミニ天守は昭和3年建造されたもので、日本最古の現存模擬天守です。
かつては展望台として利用されていましたが、2011年から補修工事のため立入禁止となり、工事が終わった後もずっと立入禁止のままとなっているそうです。
天守台の上に天守台付きのミニ天守、親亀・子亀のようでとてもかわいいです。
「天守閣」の文字が右から左へ書かれているところに時代を感じます。
現在は天守に入る階段が取り外されています。
下から1階を見上げるとかつて階段があった場所に穴が開いています。
中は現在どうなっているのか、非常に気になります。
洲本八景
小天守があった場所からは大阪湾を一望に見下ろす事ができます。
この景色も「洲本八景その1大浜を大観」に選ばれています。
眼下の砂浜が大浜海岸。遠浅で水もきれいな、夏には人気の海水浴場です。
本丸北の虎口
大天守台からさきほど入ってきた南の虎口とは別の虎口、本丸北の虎口(搦手虎口)を見下ろします。典型的な内枡形になっています。こちらは通行禁止になっていました。
山里曲輪
本丸の東側の郭です。現在発掘調査が行われていました。
山里曲輪とは庭園や茶室など軍事目的とは離れた機能をもつ曲輪のことで、豊臣秀吉が大坂城や伏見城、肥前名護屋城などに設けたことで知られます。脇坂安治は秀吉子飼いの大名だったため、この名前を付けたと思われます。
芝右衛門狸(しばえもんだ^_^ぬき)の祠
本丸の片隅に芝右衛門狸をまつる祠があります。
芝衛門狸とはかつてこの三熊山に住んでいたという伝説の大狸で、芝居好きだったといわれます。
中の狸像は藤山寛美ら大阪の有名芸人らが寄進したとか。
南の丸
本丸の南側の郭です。本丸虎口、搦手口を守っています。
この先には籾蔵があったといわれています。
本丸西側の搦手口から見上げる天守
おそらく脇坂氏が城主の頃は、こちらが大手口だったのではと推測されています。
西の登り石垣
この先に洲本城の貴重な登り石垣が見られる場所がありますが、残念ながら工事中のため立ち入り禁止になっていました。
洲本城の登り石垣は、東と西に現存し、上下の城を繋ぐことで防御力を高める目的がありました。
脇坂秀治が朝鮮出兵の際に、倭城で用いた技術を導入したと考えられています。
国内では彦根城や松山城、米子城などで見られます。