川名南城、川名北城跡・宮参り道の三体の石仏;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№4…最終) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

早朝散歩で

飯田街道筋「地下鉄・吹上」~「地下鉄・川名」までウォーク

しながらデジカメしてきました。

 

そのシリーズ…(№4…最終)

 

川名南城・川名北城・宮参り道の三体の石仏を訪ねる。

↓場所

 

川名南城跡…昭和区広路通

ぶらり昭和区MAPより引用

現在の昭和警察署の辺りにあった。

城主は「佐久間彦五郎」であったといわれている。

城は50×60mくらいの館風の城だったが、小牧長久手の戦いで焼失。

↓左端:昭和警察署…この辺りにあったとされる。

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川名北城址…昭和区川名本町

ぶらり昭和区MAPより引用

現在の広路小学校の西の辺りにあった。

城主は「佐久間半左衛門」であったといわれている。

城の大きさは川名南城とほぼ同じくらいで、小牧長久手の戦いで焼失。

(特記)

川名北城・川名南城

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宮参り道の三体の石仏…昭和区広路通5-15

ぶらり昭和区MAPより引用

昔、道の向かい側の「川名南城跡」に北向きに祀られており、この近くに熱田神宮への

「宮参り道」が通っていました。

奥のお地蔵さんに「天明五乙巳四月二四日」(天明5年(1785))「左あつた道」と

刻まれ、道案内の道標であったと分かる。

左側の如意輪観音さまには「西國坂東秩父百ヶ所」右側の石仏には「四国八十八ヶ所」

と刻まれていることから弘法様と思われる。

この道が拡張された昭和初めこの場所に移された。

👇デジカメ

↓広路通り昭和警察署の反対側(向かい側)に鎮座

特記)

にタイトル

「みや道」に立つ、お地蔵様・石碑等を訪ねました

としてブログしました。

こちらも是非ご覧ください。

 

(特記)

飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク…シリーズについて

稱名寺・太平寺を訪ねる;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№3)

川原神社・マンドリンの音の博物館;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№2)

小坂の地蔵堂:小坂神社…昭和区小坂町;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№1)

 

(日めくりより)

今日(27日)の言葉

『生まれながらの長老なし』  

 👅 

生まれたときから人に尊敬される経験や学識をもっているものはいない。

そうなるには長年にわたって修業を積み重ねることが必要だということ。

 👅

生まれつき人格や学問のすぐれた人はいない。

名僧と呼ばれる人であっても生まれつきの名僧ではなく、そうなるまでには長い年月をかけて修養している。

(付記)

「長老」は、仏教では常識に富んで悟りの深い名僧のこと。

 

(21,527歩)