稱名寺・太平寺を訪ねる;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№3) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

早朝散歩で

飯田街道筋「地下鉄・吹上」~「地下鉄・川名」までウォーク

しながらデジカメしてきました。

 

そのシリーズ…(№3)

 

稱名寺(しょうみよじ)・太平寺を訪ねる

↓場所

 

川名山 稱名寺(しょうみよじ)…昭和区川名本町4-3

↓ぶらり昭和区MAPより引用

川名山と号す。

天保13年(1842)真宗大谷派説教所として創建。

昭和21年(1946)に現寺号に改められた。

本堂は昭和62年の再建で、ご本尊は阿弥陀如来。

昔、村人が疫病退散を願って、お寺の西門に前に13体のお地蔵さんを安置。

その中、住職の夢枕に立ち,境内に入ることを懇願されたと伝えられる1体が、

今も本堂階段下の西側に安置されている。

 👇ネットより

 

戦時中疎開しなかった広路小学校の児童が、当寺で授業を受けたとの由。 

↓デジカメ

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太平寺…昭和区川名本町4-24

↓ぶらり昭和区MAP・昭和区史跡散策路等より引用

護邦山と号し、曹洞宗、本尊薬師如来坐像。

御器所村竜興寺の末寺であった。

開山の卍室長吉和尚(まんしつちょうきつおしょう)(小牧福厳寺3世盛禅洞奭和尚の弟子)が天文2年(1533)

に亡くなっていることから、開創年は1533年よりも前と考えられます。

開基は佐久間氏です。

天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いで焼失した等の記録が古文書に残っている。

小牧・長久手の戦いで川名城と共に伽藍をはじめすべて焼失。 
江戸時代には、日本地図を作った伊能忠敬が太平寺にて昼食をとったという記録が測量日記に

記されている。
明治維新の神仏分離令により川原神社から川名弁天と大般若経600巻が太平寺に移された。

現在の本堂は昭和6年に建てられたもので墓地内には室町時代のものと見られる五輪塔があります。

 

デジカメ

↓東側の山門より

↓広路通り沿い・下…掲示板に貼付

↓境内…右にお地蔵さんが並ぶ

 

(日めくりより)

今日(24日)の言葉

『子に過ぎたる宝はなし』  

 👅 👅

 子供は親にとって最高の宝物である。いかなる宝も子供には及ばないことをいう。

 

(特記)

飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク…シリーズについて

川原神社・マンドリンの音の博物館;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№2)

小坂の地蔵堂:小坂神社…昭和区小坂町;飯田街道「吹上」~「川名」までウォーク(№1)