尼ケ坂・坊ヶ坂について… 東区と北区の境界線 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

名鉄・瀬戸線尼ケ坂駅の南、

東区と北区の境界線にありあす、

尼ケ坂・坊ケ坂を訪ねデジカメ。

我が家から、ゆっくり徒歩で20分程で行けます。

 

蔵王大権現ともいわれた「片山神社」の、

・西に「尼ケ坂(女坂)」

・東に「坊ケ坂(男坂)」

があります。

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👇ひがし見聞録よりスキャン

↓尼ケ坂公園に設置…北区大杉1丁目26

 

尼ケ坂・坊ヶ坂といわれる由来について…文献:北区歴史文化探索トリップより

片山神社(蔵王権現)の近くに権現小町と呼ばれる美女が住んでいて、美男の武士と割り内

仲になり二人のあいだに男の子が生まれた。

二人は身分違いのために一緒になることが出来ず、女(権現小町)は武士に捨てられ『尼』と

なり子どもとひっそり暮らすも前途をはかなみ権現の社の杉の枝に首をくくり死去。

子どもは、母恋しさのあまり、毎夜、毎夜、母を探し歩き回るも、ある雨の夜、坂をまちがえ

北の坂にいき疲れて死んでしまった。

母の死んだ坂を「尼ケ坂」

子どもの死んだ坂を「坊ヶ坂」という。

「尼ケ坂」は女坂、「坊ヶ坂」は男坂である。

 

👇資料をスキャン
昔の尼ケ坂、

 

尼ケ坂・坊ヶ坂には、辻斬りが出たという。

その犠牲者をくようするために久国寺が坂に地蔵を安置したとされている。

👇参照

↓尼ケ坂

↓坊ヶ坂
 

(追記…参考)

この辺りの土地の形状について

「名古屋台地」の北辺にあたり、、

かつての矢田川が流れていたことにより作られたかなり急な崖が続いている。

この地は名古屋台地端で坂を下れば以前は低地水田の地域でした。

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(日めくりより)

今日(27日)の言葉

『月は欠くるも光を改めず』

 👅👅

月は、満ち欠けを繰り返しますが、 その光自体は変わってはいないということで 見た目(外見)が変わっても、その本質は変わらないとか 

人が見ていないようでも、(光が当たっていて)見られている から、怠けたり悪いことをしてはいけないということです。

 

(23,674歩)