NHKの夕方、6時45からのイブニングニュースで
東区尼ヶ坂を中心とした
東区の昔からの坂道を紹介していました。
我が家の近くでもあり、私の出身中学校の校区域でもあります。
《参考》
「名古屋台地」の北辺は、かつての矢田川が流れていたことにより作られた
かなり急な崖が続いている。
西側は、現在の堀川べりに見られる崖が続いており、
東側の南半分は、山崎川により東部丘陵と隔てられた緩やかな台地となっています。
これらの(昔からの)坂道をデジカメしてきました。
名古屋台地北端に位置する蔵王の森と呼ばれる片山神社の
西側の坂道を「尼ヶ坂(男坂)」
東側の坂道を「坊ヶ坂(女坂)」
と呼ぶ。
一帯は緑地保全地区に指定されており、うっそうとした緑のトンネルを呈している。
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片山神社
社寺は名古屋台地端で、坂を下れば低地水田の地域であったので、片山の名は
こうした地形から由来する。
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清水坂(国道41号線 清水~深田町間の一本西側)
中区伝馬町より中山道土田宿に至る稲置街道に沿っている。
幕末、皇女和宮の降嫁の際この道を通られたといわれている。
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枳穀坂(きこくさか)(明和高校横の坂道、名鉄瀬戸線土居下駅東側の坂道)
枳穀(きこく)とは「カラタチ」の漢名であり、棘(とげ)があるので防備柵として
利用された。
柳原街道の一部となるこの道は名古屋城が万一の場合、藩主が清水橋から土居下を経て、
柳原から大曽根を経て、安井村から木曽路へ逃げ延びるための道で、
城の非常口である鶉口にあたりに御土居下同心屋敷がありました。
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関貞寺 曹洞宗。
かつては、ここからの北方の眺望が素晴らしく、
関貞寺の付近は、名古屋台地の北端に位置し書院から北方の眺めがよく
「尾張名所図会」では名古屋三景の一つとされている。
江戸末期の名古屋城下図によればこの辺は大曽根坂上町と記載があり。
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左は了義院
清州越の寺で、
昔は成就院と称し月見の名所の名所として「尾張名所図会」に記載があり。
関貞寺の隣りの了義院の「尾張名所図会」
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(追加、スナップです)
徳川園の西側の坂道
左下の犬は『愛犬 ナナ』です。
愛犬「ナナ」と散歩の途中坂道をデジカメ。