昨日(10日)、
名鉄・瀬戸線尼ケ坂駅の南、東区と北区の境界線あたり、
尼ケ坂・坊ケ坂近辺を散策してきました。
我が家から、ゆっくり徒歩で20分程で行けます。
この辺りは私の中学校時代(冨士中)の学区でもあり知人も多くいます。
この坂の云われについて子供の頃から聞いています。
蔵王大権現ともいわれた「片山神社」の、
西に「尼ケ坂(女坂)」、東に「坊ケ坂(男坂)」
があります。
この地は名古屋台地端で坂を下れば以前は低地水田の地域でした。
江戸時代にこの地に住んでいた「権現小町」とよばれる美人の村娘と、高位の「青年武士」の悲話がそれぞれの地名の由来と伝えられている。
「尼ケ坂」は、その昔、樹木が生い茂る中を縫うような薄暗い道で坂上の名古屋台地へ向かう道路として「尼ケ坂近道」とも呼ばれており、辻斬りも多く出没し通行人が被害を受けるこが度々あったといわれている。
(付記)
この辺りの土地の形状について
「名古屋台地」の北辺は、
かつての矢田川が流れていたことにより作られたかなり急な崖が続いている。
尼ケ坂公園 ↓
尼ケ坂地名の由来と伝説…尼ケ坂公園に設置されていました。
蔵王大権現ともいわれた片山神社
片山神社は蔵王大権現ともいわれ、和銅2年(709)創建と伝えられています。
社叢は鬱蒼とした森で、蔵王の森と呼ばれました。
神社の東西の坂は「坊ヶ坂(男坂)」「尼ヶ坂(女坂)」と呼ばれていました。
尼ケ坂公園の西にある尼ケ坂・地蔵院
文化年間(1804~1818)「尼ヶ坂近道」で通行人がよく辻斬りが出て、人が殺された。
その霊を弔うため、久国寺の八代霊梅笑山が、門前の六地蔵のうち一体を移し祀ったという。
尼ケ坂公園の西筋にある尼ケ坂・地蔵堂
すぐ傍の普光寺(北区大杉一丁目21)が管理
(2018年4月25日…追記)
(23,319歩)