昨日(28日)
千種区法王町1-1にあります
日泰寺を訪ねデジカメしてきました。
日泰寺について
↓千種区史跡散策路より引用
釈尊の遺骨を奉安するために建立されたわが国唯一の超宗派寺院。
明治31(1898)年英領インドピプラーワーで釈尊の遺骨が発見され、仏教国であるタイ
(当時シャム)の王室に寄贈された。
その遺骨は、セイロン・ビルマにも分与されたので、当時タイ公使稲垣満次郎の斡旋で、
日本仏教会十三宗五十六派が協議して、遺骨奉迎の使節団をシャムに送った。
その安置寺院に名古屋は官民一致の誘致運動をおこして成功。
明治37(1904)年日暹寺を建立。
本尊はシャム国王より下賜された釈迦金銅仏。本堂、山門、五重の塔、鐘楼など見事な
伽藍をほこる。
境内東の二万五千坪には多くの墓・供養塔・石碑があり、名古屋の近代化の歴史を語る。
また、毎月21日の弘法縁日は善男善女で賑わう。
↓別の資料より
日本とタイの友好関係を象徴して1904年に建立された寺院。
日本で唯一、どこの宗派にも属さない寺院で「超宗派」と呼ばれることもある。
本尊はタイの国宝であった金銅釈迦如来像で、いたる所にタイとの友好の証が見て取れる。
明治33年(1900)に、
タイ国王から贈られた仏舎利と金銅の仏像を安置するため37年(1904)に建立。
仏教各派が輪番で管理を行う日本で唯一の超宗派の寺院。
境内には遺骨を安置するガンダーラ様式の奉安塔や八相園と呼ばれる庭園と茶席草結庵がある。
平成9年4月境内に五重塔が建立された。
毎月21日は縁日。
↓
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山門
1989年(平成元年)完成。
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五重塔
1997年(平成9年)完成。高さ30m。中には写経が納められている。
本堂
1984年(昭和59年)完成。高さ20m。毎日法要が執り行われている。
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本堂内
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境内にて…本堂の右側前にあり
チュラロンコン国王(覚王山日泰寺)…本堂の左側前にあり
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(不思議)
伊藤萬藏さんの寄贈について
※本堂前に設置➡しかし、昨日、訪ねるも見当たらず
👇確か、一年ほど前に訪ねた際にデジカメ。
私のデジカメに残っていました。
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(特記)
奉安塔
1918年(大正7年)完成。高さ15m。愛知県文化財指定。
東大教授伊東忠太氏設計による、ガンダーラ様式の花崗岩の佛塔で2階部分に仏舎利(ぶっしゃり)が安置されている。
奉安塔前には礼拝殿があり、法要が執り行われる。
記念碑
日清戦役第一軍戦死者記念碑が建つ。
当初、日清戦争で戦死した第一軍の戦死者726名の霊を弔うため、現在の広小路通と武平通が交差する中区役所交差点の位置に明治34年に建立されました。
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(特記)
「日泰寺奉安塔」名勝標札…千種区城山新町一丁目(千種区名勝標札 №7)
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(日めくりより)
今日(29日)の言葉
『人の噂も七十五日』
👅👅
世間で人があれこれ噂をしていても、それは長く続くものではなく、やがて自然に忘れ去られてしまうものだということ。
(20,8425歩)