東区坂上町(現:徳川)の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今朝、

東区坂上町自治会の近辺へ早朝散歩で赴く。

  

帰宅後、

東区坂上町(現:徳川)の町名の由来等について調べました。

 

↓ネットより引用

名古屋城下町から大曽根を経由する街道の中途にある大曽根大坂があることに由来する

※1908年(明治41年)4月1日 - 東区編入に伴い、同区坂上町となる。

 1980年(昭和55年)2月10日 - 徳川二丁目および山口町に編入され消滅

 

↓ひがし見聞録よりもう少し詳しく

江戸期以来の町名。

城下の北東端にあり、下街道沿いの相応寺横手筋から大木戸までの町名で、

はじめは赤塚町上之切または北之切とも呼ばれていた。

町家の発達とともに貞享三年(1686)坂上町と改称した。

大曾根村から城下に通じる入り口に城下一の大きな坂があり、大曾根大阪と呼ばれていた。

この坂の上に位置することが町名の由来である。

注)大木戸とは、

・江戸時代に、街道上(市中)の境界に設置された簡易な関所である。

・人間や物品の出入りを管理するのが目的であった。

防衛・防犯用の木製の扉で、その大規模なものを大木戸と呼ぶ。

注)

 下街道=善光寺街道

 

デジカメ

↓徳川二丁目17番辺りから大曾根方面に向かう坂道をデジカメ

↓徳川二丁目6番辺りから南に向かう方面をデジカメ

↓町名表示変更前の地図より

↓戦前の地図より

↓大木戸の場所…赤塚町は誤り???

 

(追記)

東区赤塚町と山口町の町名の由来

熊野屋(油屋の元締…享保十年(1725)の創業の老舗)…東区赤塚町7

 

にタイトル「善光寺道の道標、佐野屋の辻

善光寺街道・道標

佐野屋の辻にある善光寺街道道標と「中村家」の石碑…東区泉3丁目

 

名古屋城下の「大木戸」について