名古屋市北区役所発行の「北区史跡散策路」に、
‘善光寺街道道標”について記載あり。
‘善光寺街道道標”について、
かって大曽根の追分に建っていた道標で、
木曽に通じる善光寺道と、飯田に通じる飯田街道との分岐点を示している。
(北区史跡散策路より転写)
善光寺街道(下街道)は江戸期の街道です。
東区の鍋屋町(現在、泉三丁目)から北に曲がり
大曽根、矢田・庄内川を渡って勝川・明知を経て、
内津峠を越し、多治見市を経由して中山道大井宿に至ります。
実は、私「洋ちゃん」は、相当前に、
この‘善光寺街道道標”は、大曽根のお寺『薬師殿』で見た記憶があり、
訪ねるも道標はなし。
先日、
‘善光寺街道道標”の設置場所を捜したところ、
『薬師殿』の裏側の道筋で、この道標を見つけました。
お寺『薬師殿』の近くにお住まいのお年寄りに訪ねたところ、
この道標は当初は、現在の名鉄・大曽根駅の直ぐ傍に置いてあったとの由。
その後、大曽根地区の区画整理により、
一時『薬師殿』に仮置きされ区画整理が終了し、
現在の場所に置かれてたのだそうです。
私「洋ちゃん」は納得~~~!!
ネットに『薬師殿』に設置の写真あり。 先日『薬師殿』の前でデジカメ。
ここに‘善光寺街道道標”がありました…実は見つけるのに一苦労しました。
右 いゐたみち 左 江戸みち・ぜんくわうしみちと刻まれている。
‘善光寺街道道標”の下に設置されていました。
(この案内板に「稲置街道」が別名「上街道」と呼ばれたと記載されていますが私の説と異なります…上記の※で示した青字が私の説です)
私、所有の明治24年の地図です。
赤く塗りつぶしの場所が設置場所。
赤丸が『薬師殿』です。
(追記)
今年6月23日に東区泉三丁目にあります、
「善光寺道の道標、佐野屋の辻」についてブログしました。
こちらも是非ご覧ください。