「宮本武蔵碑」の名勝標札…昭和区広路町松風園68(半僧坊新福寺)(昭和区名勝標札 №5) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、昭和区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№5

 

その一環で、

先日

「宮本武蔵碑」名勝標札をデジカメ

設置場所 昭和区広路町松風園68(半僧坊新福寺)

 

「宮本武蔵碑」の名勝標札について

昭和区史跡散策路の「半僧坊新福寺」の項目より引用

・明治18年(1885)に名古屋城下の南大津町に建立され明治43年(1910)に現在地に移る

・境内に宮本武蔵の「新免政名供養碑」(しんめんまさなくようひ)があり。

・尾張藩の二刀流の門下が建立したもの。 

 

名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№5

↓宮本武蔵の「新免政名供養碑(しんめんまさなくようひ)

↓ 拡大

↓資料より

・宮本武蔵が名古屋を訪れていることは確かで、

 南区笠寺の東光院にしばらく滞在していたと伝わっている。

・尾張藩の円明流の門下が宮本武蔵の百四十九年忌供養に建てたもので、

 もともと新豊寺(昭和区南山町)にあったのを新豊寺が廃寺になったため、ここに移された。

・尾張藩の円明流の門下が宮本武蔵の百四十九年忌供養に建てたもので、

 もともと新豊寺(昭和区南山町)にあったのを新豊寺が廃寺になったため、ここに移された。

↓別の資料より資料より

・本堂前には宮本武蔵の百四十九年忌供養に建てられた「新免政名供養碑(しんめんまさなくようひ)」がある。

・最初は昭和区南山町の新豊寺にあったが、廃寺となってこの地に移された。

・武蔵は尾張藩主義直に拝謁、藩士と剣術試合をして、二刀を使う圓明流を伝えた。

・飯田街道を電車が走っていた昔、「半僧坊」停留所からの参道はかなりの賑わいだったといわれる。

↓名古屋の史跡と文化財よりスキャン

(特記)

半僧坊 新福寺を訪ねる…昭和区広路町松風園(伊藤萬蔵さん寄贈の石碑があり)

 

◎昭和区内にある名勝標札巡りについて

「伝豊臣秀吉母宅跡」の名勝標札…昭和区御器所3-22(昭和区名勝標札 №4)

「伊勝八幡宮」の名勝標札…昭和区伊勝町2-99(昭和区名勝標札 №3)

宗円寺宝篋印塔の名勝標札…昭和区御器所3-19-18(昭和区名勝標札 №2)

小酒井不木宅跡の名勝標札…昭和区鶴舞4-5-14(昭和区名勝標札 №1)