半僧坊 新福寺を訪ねる…昭和区広路町松風園(伊藤萬蔵さん寄贈の石碑があり) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

伊藤萬蔵さん寄贈の石造物巡りを楽しんでいます…その一環として、


先日(2日)昭和区広路町松風園68にあります、

半僧坊 新福寺を訪ねました。

 

新福寺は、宮本武蔵の碑があるとして著名なお寺です。


 

 

半僧坊 新福寺について

(名古屋市昭和区史跡散策路より引用)

・明治18年(1885)に名古屋城下の南大津町に建立、明治43年(1910)

 現在地に移った。

・境内に宮本武蔵の「新免政名供養碑(しんめんまさなくようひ)」がある。

・尾張藩の二刀流の門下が建立したものである。


(私の資料より)

・臨済宗方広寺派

・明治18年(1885)静岡県奥山半僧坊方広寺の別院を南大津町(現、栄三丁目)

 に建立。
・明治43年(1910)町中を離れて清閑なこの地に移された。

・「半僧坊」の由来は禅師から「姿は俗人だが心は僧。故に汝は半僧坊だ」と

 言われたことによる。

・「半僧坊」は観音様の化身だったといわれ、当寺の本尊阿弥陀如来の頭中に

 観音様が納められている。


・本堂前には宮本武蔵の百四十九年忌供養に建てられた「新免政名供養碑

 (しんめんまさなくようひ)」がある。

・最初は昭和区南山町の新豊寺にあったが、廃寺となってこの地に移された。

・武蔵は尾張藩主義直に拝謁、藩士と剣術試合をして、二刀を使う圓明流を

 伝えたとの事です。

・飯田街道を電車が走っていた昔、「半僧坊」停留所からの参道はかなりの

 賑わいだったといわれる。


デジカメ

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左下に、宮本武蔵の「新免政名供養碑(しんめんまさなくようひ)」があり。
 

宮本武蔵の「新免政名供養碑(しんめんまさなくようひ)

   拡大
 

伊藤萬蔵さん寄贈の石碑

赤矢印のの道標
 

正面 半僧坊大権現参詣道

右面 大正八年十月建之
  

左面 名古屋市西區塩町

        伊藤萬蔵
  

(追記)

昨日(5日)笠寺観音に赴き、

「宮本武蔵之碑」をデジカメしてきました。