「大円寺石塔」の名勝標札…中村区日比津町四丁目2-13(中村区名勝標札 №8) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、名古屋市中村区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日、

「大円寺石塔」名勝標札をデジカメ

 

設置場所 中村区日比津町四丁目2-13

↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№8

 

「大円寺」について

↓中村区史跡散策路等より引用

大円寺は真宗高田派

・日比津城主・野尻氏の菩提寺である大円寺が、

 日比津城の一部と伝えられており、城主のお墓も残っています。

・往昔、軍事上の要衝の地であったこの地方には、

 日比津城と栗山城の二城があり、大円寺は日比津城主の菩提寺でした。

・境内に城主野尻掃部の墓である宝篋印塔と五輪塔があり、

 五輪塔地輪に刻まれた「貞治4年(1365年)3月18日」の銘は市内最古の石塔紀年銘です。

・境内右方にあるクロマツの古木は一見に価します。

 

↓ネットより引用

日比津城は、別名・日比津乾屋敷城ともいい、城主の名に野尻掃部という名があります。

・野尻氏は信濃の出身で、

 この地にやってきて勢力を拡大し多くの家臣もいたそうで、

 戦国期には清州の織田氏が絶えず監視を怠らなかったそうです。

・規模は東西約58メートル、南北約54メートルで、広い堀があったほか、

 板橋の取り外しができる橋が架けられていたそうです。

・東に正門、北に裏門があったと伝わります。

日比津栗山城は、

・日比津城の近くにあったお城で、

 城主は日比津城主・野尻掃部の家臣だった野尻藤松という人物と伝わる。

・規模は東西約54メートル、南北約43メートルで、二重の堀があったそうです。

 

↓名古屋の史跡と文化財より

デジカメ

↓境内にて

↓本堂前西寄りに「大円寺石塔」があり

↓「大円寺石塔」

↓クロマツ

 

(追記)

大円寺石塔・日比津城と栗山城等について

大円寺:日比津(乾屋敷)城(ひびついぬいやしきじょう)に行く

にタイトル「日比津城(大円寺)

としてブログしました。

こちらも是非ご覧ください。

 

(特記)

◎中村区内にある名勝標札巡りについて

「定徳寺」の名勝標札…中村区日比津町一丁目16-8(中村区名勝標札 №7)

「萱津の東宿跡」の名勝標札…中村区東宿町一丁目57(明神社)(中村区名勝標札 №6)

「萱津の渡し」の名勝標札…中村区日比津町(枇杷島橋緑地)(中村区名勝標札 №5)

「凌雲寺」の名勝標札…中村区稲葉地本通3-18(中村区名勝標札 №4)

「稲葉地城」の名勝標札…中村区城屋敷町4丁目10-1(中村区名勝標札 №3)

「常泉寺」の名勝標札…中村区中村町字木ノ下屋敷47(中村区名勝標札 №2)

「加藤清正誕生地」の名勝標札…中村区中村町字木下屋敷22(妙行寺境内)(中村区名勝標札 №1)