私「洋ちゃん」、名古屋市内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日、
「東岸居士の墓碑」の名勝標札をデジカメ。
設置場所 西区幅下南堀越1-8-20
↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№18
↓標札の詠み
『東岸居士(~1283)、名は玄壽、東山雲居寺の説教僧。
出家もせず僧衣も着用せず妻帯のまま、
羯鼓(かっこ)を打ち竹の編木(ささら)をすり念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回った。
たまたま、当地・堀越に滞在した折、往生をとげた。村人は、その徳を敬い弔ったという。
今も「いぼ神様」として人々の信仰を集めている。毎年八月十三日に盆供養が行われている。
「尾張志」等によれば、東岸の像が近くの宝琳寺にあったという。
この墓碑は、以前、東レ(株)愛知工場の中にあったのを移したものである。
何故「いぼ神様」として人々の信仰を集めているかは???。
東岸居士と「いぼ神様」との関係も???。
☟「東岸居士」
と染められた紅白の幟がたくさん立っている敷地の中にある小さな神社
↓社の中にある墓碑…ネットより
↓ネットより
東岸居士は鎌倉時代の僧(居士)で、実在したとも伝説の人ともされる。
東岸居士(~1283)、名は玄壽、東山雲居寺の説教僧。
出家もせず僧衣も着用せず妻帯のまま、羯鼓(かっこ)を打ち竹の編木(ささら)をすり念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回った。
鎌倉時代後期の居士で、諸国を巡っている途中の尾張国の堀越村で亡くなったので村人たちが葬ったということになっている。
(付記)
居士というのは出家しないまま俗人として人々に説教をして回る修行者のことをいう。
↓西区の史跡90選よりスキャン
↓資料より
(特記)
◎西区内にある名勝標札巡りについて
「興西寺」の名勝標札…西区城西4-15-24(西区名勝標札 №17)
鈴木朖(あきら)離屋の跡…西区花の木1-7-1(西区名勝標札 №16)
蜂谷宗意宅跡…西区上名古屋2-10-5(西区名勝標札 №15)
鈴木朖(あきら)終焉地…西区城西3-21-17(離屋会館)(西区名勝標札 №14)
「福昌寺」の名勝標札…西区大野木2丁目138(大野木保育園)(西区名勝標札 №12)
「蛇池」の名勝標札…西区山田町大字比良字野市場(蛇池竜神社)(西区名勝標札 №11)
「西志賀遺跡」の名勝標札…西区貝田町一丁目58(西区名勝標札 №10)
大乃伎神社のボダイジュ…西区大野木2(大乃伎神社)(西区名勝標札 №6)
鴫塚(別名刈跡塚)…西区新道1-19-36(法蔵寺)(西区名勝標札 №4)
比良城址(佐々成政城址)…西区比良3-501(光通寺)(西区名勝標札 №2)