比良城址(佐々成政城址)…西区比良3-501(光通寺)(西区名勝標札 №2) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、西区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№2。

 

その一環で、

先日(28日)

「比良城址(佐々成政城址)」名勝標札をデジカメ

設置場所 西区比良3-501(光通寺)

 

私「洋ちゃん」以前に訪ねた事がありますが、

先日(28日)の中日新聞“街道を行く”の記事を見て再度赴く…

先日、西区比良三丁目の辺りにあったとされる

比良城址(佐々成政城址)に行く…。

(私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)
        

比良城(佐々成政城)は、

信長の家臣で後に富山城主になる佐々成政の生誕地として知られています。

その後、富山城主となるものの、信長の死後、秀吉に対抗し攻められ降伏。

  肥後へ流される。

 

名古屋市教育委員会設置名勝標札…№2

↓西区史跡散策路に記載

佐々成政城址・光通寺について

織田信長の臣であった武将、佐々成政の居城があったとされるのが、現在の光通寺一帯。

敷地内に佐々成政城址の碑があります。

 

愛知県が設置した「佐々成政城址」の石碑



「比良城」について
所在地   西区比良三丁目

立地    平城

築城時期 天文年間(1532~55)

築城者   佐々成宗

目標     光通寺

遺構等   境内に案内板と城址碑

 

『現況』

・光通寺辺りが城址と伝わる。

・遺構はなし。

・案内板・寺の墓地に愛知県設置の城址碑がある

・寺の境内地が周囲より少し高くなっている。

 

『略史』

・天文年間(1532~55)に佐々成宗が築城し、子の成政が継いだ。

・築城当時は新川・庄内川・真地蔵川に囲まれ低湿地にあり「小城なれど当域ほどよき城なし」と云われた。

・東西68㍍、南北72㍍の規模で二重の掘があったと古書にある。


・佐々成宗の嫡男政次が桶狭間の戦いで戦死したため、五男の成政が城主になる。

・成政は武勇の誉れが高く、

 成政は天正三年(1575)に柴田勝家前田利家らとともに北陸へ移動越前府中を与えられ越前小丸城主となる。

・比良城は、その時に廃城。

 

光通寺です(山門・通路の左、に「比良城」の名勝標札が設置…赤矢印)

光通寺・本堂

(付記)

※成政が後に北陸へ移動した際、一族もここから移ったが、

 三男の雄助は早川という姓を名乗り、この地に残り、

 現在、比良で早川姓を名乗る家は、その子孫であるという説がある。

 

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比良城の南300㍍の場所に「蛇池」があり、

織田信長は村民から「大蛇を見た」という話を聞き、信長自身も池に入って調べたが見つからず。

またこの時、逆心を疑われた成政が、信長を討とうと企てたという伝説が残っている。

「蛇池」にある名古屋市教育委員会設置の名勝標札…↓

西区制90周年記念 西区の史跡90選よりスキャン