鴫塚(別名刈跡塚)…西区新道1-19-36(法蔵寺)(西区名勝標札 №4) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、西区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№4。

 

その一環で、

先日(21日)

「鴫塚(別名刈跡塚)」名勝標札をデジカメ

設置場所 西区新道1-19-36(法蔵寺)

    地図の説明

名古屋市教育委員会設置名勝標札…№4


 

田中山 法蔵寺について…ネットより引用
・真宗大谷派で山号は田中山。

・歴史の古い寺です、この地に移ったのは、清須越直後の寛永3年(1626年)。

・新道六ヶ寺の一角を占めている

・江戸時代には樽屋町の大木戸を軸に西の守りを果たす。

 (注)大木戸については下に記した(追記)を参照

 

鴫塚(別名刈跡塚)について
 ・鴫塚には貞享元年(1684年)芭蕉がこの辺りの田中の里で詠んだ

 「刈跡や早稲かたかたの鴫の声」

 の句が刻まれている。

・原碑は天明7年(1787)白梵門下金剛蓮建立で、寛政の頃(1789-1801)紛失し,

   

・今のは、安政3年(1856年)冬、暒湖・三四等の発起で建てられたもので、文字は竹村鶴叟(たけむらかくそう)の筆。

・昭和52年名古屋市史跡に指定。


・傍らに当寺の住持大夢の建てた「鴫塚」としるした標石が立っていますが、これは再建碑で原碑は戦災で焼失しました。


・芭蕉は那古野の円頓寺にも訪れ、

 「ありとあるたとえにも似ず三日の月」の句を残しているが、

 この地にあるの芭蕉の鴫塚の句は貴重な文化遺産です。

 

↓ 名古屋の史跡と文化財よりスキャン

デジカメ

↓ 田中山 法蔵寺入口


 ↓ 境内西側


↓ 鴫塚(別名刈跡塚…木に覆われていました

 赤矢印が鴫塚(別名刈跡塚)



↓ 鴫塚(別名刈跡塚)…ネットより引用


(付記)

「刈跡や早稲かたかたの鴫の声」について

「早稲かたかた」とは…早稲が刈られてところどころ残っている様。

「かたかた」…ところどころ、方方の意。

「早稲」も「鴫」も秋季。

句意

早稲が刈られて、刈り跡が多くなったが、ところどころ早稲が残っている。

そこをわずかにたのみとして鴫がひそんでものさびしい声をあげているよ。

★点々と刈り残された早稲を頼む鴫の声をのあわれさが発想の契機であろう…

 

(追記)

大木戸については、

2018年3月13日に、タイトル

大木戸…西区樽屋町(現花ノ木)、大木戸橘町、東区赤塚バス停北でデジカメ