先日、
南区桜台高校のすぐ傍、(桜田)八幡社を訪ね境内にある
「年魚市潟」「桜田勝景」の石碑
八幡社です。
(桜田)八幡社あたりは、
昔は東南に傾斜した高台で、熱田から呼続・星崎にかけて、伊勢の海が湾入する遠浅の沿岸の地域で、眺望のよい地形でした。
「年魚市潟」はこの沿岸あたりをさしているといわれています。
「万葉集」巻三に
「桜田へたづ鳴きわたる年魚市潟潮干しにけらをたづ鳴きわたる」の歌を詠まれた景勝地です。
句意より
「桜田」は当然桜の田の意で、この桜の台地の下に展開する田が一帯にあったのだろう。
「あゆち潟」と「桜田」は、歌の中で、言い分けてあるので、異なる土地とすれば、「桜田」は多分この台地の東側の低地あたりと推測される。
朱線の‘笠寺台地”の
南あたりが「年魚市潟」
裏面です。
萬葉歌碑:高市黒人
「桜田へ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる」
この歌は、「万葉集」巻三の「雑歌」の(271)に
「桜田部鶴鳴渡年魚市方塩干二家良之鶴鳴渡」と載っている歌です。
意味は、「桜の田の方へ鶴が鳴いて渡っていく。
あゆち潟が干いたらしい。鶴が鳴いて渡っていく」というものある。
境内に「桜田勝景 愛知県」の碑が建っていました。
…鳴海方面(鳴海潟)の方向を望んだ場所???。
名古屋市教育委員会設置の名勝標札
(付記)
先月(7月)11日にタイトル「「愛知(あいち)」の成立・名称について 」として
‘年魚市潟”についてブログしました。こちらも是非ご覧ください。
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