「愛知(あいち)」の成立・名称について調べました。
※明治4年(1871年)明治政府により、
廃藩置県が決まり、尾張藩が廃止され「名古屋県」が置かれる。
⇒翌年、明治5年に名古屋が尾張八郡の中の愛知郡に在ったことから
「愛知県」と改称された。
※尾張八郡とは…愛知・春日井・葉栗・丹羽・中島・海東・海西・知多の八郡
(追記)
2022年1月1日に追記
「愛知(あいち)」は、
万葉集の歌に詠まれた
『あゆちがた』に由来するといわれている。
・奈良時代は、現在の名古屋市南部の熱田・呼続・鳴海から大高・知多に
かけての一帯は『あゆちがた』と呼ばれ、入江になっていた。
当時詠まれた万葉集の和歌について
①原文: 櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡
作者: 高市黒人(たけちのくろひと)
詠み: 桜田(さくらだ)へ、鶴(たづ)鳴き渡る、年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし、
鶴(たづ)鳴き渡る
意味: 桜田(さくらだ)のほうへ鶴(たづ)が鳴き渡っていきます。
年魚市潟(あゆちがた)は潮がひいたようです。
★桜田は、現在の名古屋市南区元桜田町・桜本町・桜台町あたりの地を言う。
②原文: 年魚市方 塩干家良思 知多乃浦尓 朝榜舟毛 奥尓依所見
作者: 不明
詠み: 年魚市潟(あゆちがた)、潮干(しほひ)にけらし、知多の浦に、
朝漕ぐ舟も、沖に寄る見ゆ
意味:年魚市潟(あゆちがた)は潮がひいたようです。
朝、知多の浦を漕いでいた舟も沖のほうに行っているのが見えます。
★「知多の浦」は、今の愛知県東海市・知多市あたりの海辺をいいます。
(追記)
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南区内の八幡社にてデジカメ
裏面です。
萬葉歌碑:高市黒人
「桜田へ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる」
この歌は、「万葉集」巻三の「雑歌」の(271)に
「桜田部鶴鳴渡年魚市方塩干二家良之鶴鳴渡」と載っている歌です。
意味は、「桜の田の方へ鶴が鳴いて渡っていく。あゆち潟が引いたらしい。
鶴が鳴いて渡っていく」というものある。