すずらん通り、ろしあ亭移転の跡の建物が気になりながら

チェックするの忘れていたので、先週、夫に撮影してもらってきました。

 

これは去年秋、古本まつりの時

移転直前の「ろしあ亭」前に並ぶ人たち。

スヰートポーヅの看板はありますが、すでに閉店済みです。

 

ろしあ亭は「移転」なので看板は外されました。

 

 

そして、この場所は今・・・・・

 

更地!

 

 

「文銭堂」側

 

「魚金」側

 

まあ、覚悟はしていましたが、

心配なのは この一帯の低層建築のこと。

となりの魚金は、リニューアルしてきれいにはなったけれど

「本のすずらん堂」時代の躯体ですよね。

 

 

 

 

奥に見える二階建ては戦前からの老舗、祭礼用品を扱う近藤商店。

なんか心配になってきた・・・・不安

 

普通に考えたら、

更地になったあとにはピカピカの新しいのっぽビルが建って、

(お米屋さんとか銭湯とか薬屋さんとかの)大家さんが1階に入って

上を貸して家賃収入・・・というケース多いですよね。

 

ところが、神保町周辺はそういうのは「レオマカラズヤ」くらいで、

一切合切壊して、過去の痕跡が一掃されてしまう・・・

というのが多いんですね。

低層の老朽化した建物だけじゃなくて、

まだ新しいビルがそのターゲットになることも。

 

さくら通りでもそういう動きがありますが、

ここの向かい側でもうすぐ工事の終わる高層ビルもその一例です。

 

数年前まで

 

人気店の「キッチン南海」の閉店はニュースになりましたが、近所に移転。

手前の靴屋さんは奥行きのある5階建ての天下一ソロバンビルで、

路地側に天下一への入り口がありました。

こちら側は奥の「おにぎりの小林」もあわせて3軒、

裏の路地側の「ふらいぱん」なども一緒に消えてしまいました。

 

取り壊し中(2023年春)

 

 

そして裏まで全部更地に・・

 

 

これが現在。

 

まだ完成前ですが、ドーンと高層ビルになりました。

となりが「小諸そば」の光風園ビルだからなんとかわかるけど

すずらん通りじゃないみたいです。

 

うらの路地も激変です。

 

 

これは15年ほど前の地図で、すでに三井不動産の巨大ビルは建っているし

激変後の神保町ではありますが、まだまだこんなものじゃ許されないみたい。

 

上の大型ビルに青枠、ろしあ亭のところの更地に赤枠をつけました。

 

路地側の「芝本和本製本」だけは

この状況のなかでもまだがんばってくれていました!

 

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すずらん通り周辺のことは、今まで何度も書いているので、

そのうちのいくつかを貼っておきます。

なるべく同じことは書かないようにしているのですが

カブってしまっていたらすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりは太平洋戦争の空襲ではそれほど焼けなかったので、

関東大震災後の建物の多く残るエリアでした。

 

なので、戦前を知る人が、昭和の終わりころに

「この辺は変わらないね~」というのならわかるのですが

今の若い人たちが口々に

「昭和レトロ」とか「時が止まったみたい」とか言ってるのを聞くと

非常に違和感があるのです。

どこよりも激変してるし・・・!

 

それに

老朽化した建物の建て替えは避けられないとしても、

ことごとく 景観無視な気がする。(まあこの辺は個人的な好みですが)

 

 

せめて昔の姿を心に刻んでおきたくて、しつこく書き続けていますので、

どうかお許しとご理解を!