先日、この「東京風物名物誌」の本が気になると書きましたが、

ここのサイト(日本の古本屋さん)では、表紙の画像があればまだいい方で、

これ以上の情報はなく、何が書いてあるのか、見当もつきません。

買える値段ではあるけどどうしよう・・・

と迷っていました。

 

 

昨日、新宿歴博の図書室にいって、本物と対面。

B6判の小型本で、見開きの地図でもB5という小さいものでした。

 

複写可とのことでしたが、ページの端が劣化してもろもろで

コピー機で上から押さえたら根元からバリっと行きそうな状態。

70年前の本ですからねぇ・・・・

 

 

 

なので(ふわっとコピーしたので)

「のど」の部分は黒くなってしまいますが、私にはこれで充分。

地図は全部で20面くらいありましたが、

必要最低限の分だけコピーを撮らせていただきました。

 

他のエリアも、地図と認めたくないくらいのざっくり度でしたが、

懐かしい名前はぞろぞろ出てくるので、見ていて楽しいです。

また何かのときに参考にさせていただくかも。

 

 

 

同じ日のブログの後半に

靖国通りとすずらん通りの間の路地、というローカルな話をしたのですが

たまたまここにも用があっていってきました。

 

 

これは前回も使った46年前の住宅地図なんですけど、

現存する店舗にわかる範囲で赤印、

建物はあるけれど、すでに閉店した店舗に緑印をつけてみました。

(厳松堂は建物も看板ものこっていますが、すでに閉店し、

今は澤口書店がはいっているので、これも緑色が正しいですね)

 

この路地に現役で残るのはさぼうる(1号店)のみ。

すずらん通りも、ちょっと前まで、

キッチン南海とかスヰートポーヅとかロザリオとかあったんですけどね。

揚子江菜館は道の向かいに移転して今も営業、

文銭堂は、「創業〇〇年」を売りにはしてないので、多分戦後の創業なんでしょうけど

47年前にはもう「総合和菓子店」みたいな今の大きな店舗になっていたと思われます。

(ニュー莉須凡というのは地下にあった喫茶店の名前ですから)

 

 

例の路地を①印の方向に撮った当時の写真を昔見つけて保存していました。

私にとっては個人的に非常に懐かしい光景なんですが、

よくこんな地味な路地を撮ってくれたものです。

 

 

同じ場所の昨日はこんなです

すべてが変わってしまいました。

 

 

ただ、この右角にあった「あめりかまる」は、ずいぶん前に閉店したのにもかかわらず、

建物はほぼかわらず残っていて、ここがあの四つ角だったことを確認できます。

ありがたい・・・・

 

 

 

もう一軒、緑の印をつけた「包子餃子(スヰートポーヅ)」ですが、

ここも、閉店したあとも、お店も看板もそのまま。

 

なので、この路地から②の方向にすずらん通りを見ると・・・

 

 

包子餃子(スヰートポーヅ)と文銭堂の看板がみえるこの景色は

すくなくとも40年前からは「かわらない景色」で

ふと、タイムスリップしたような気分になりました。