圧倒的なベクトルパワーに改めて平伏する、小説『白い巨搭』全5巻を一気に再読する | 武王の舞路愚変

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時に物書き、時に監督、時に教授…異端無節操"祭りの日々"


『白い巨搭』と云えば。

近年のテレビドラマをまず思い浮かべる人達のほうが多いのかもしれないが。
(テレビドラマで云うなら、個人的に正直な見解を述べると、故・田宮二郎さんが主演したシリーズが唯一無二の傑作中の傑作であると確信する。特に、原作の小説にあるキャラクターの"彫り"と"表現力"において、同ドラマにおける田宮さんと山本學さんの演技は、間違いなく一つの"極点"に達していると思う)

その原作となった小説は。

時を経ても。

再読、再々読に耐える、凄まじいベクトルパワーを維持している。

実際、『白い巨搭』と『続白い巨搭』を併せた文庫全5冊を、一気にグイグイと読み通させてしまう。
(その牽引力が文章ならではもので、映像よりも遥かに勝るという点において、やはりこの作品は特筆されるべきものだろう)

現在、数多書店に並ぶ小説群の中で、後年、再読、再々読に耐え、ずっと残ってゆく小説が、果たしてどれほどあるかはわからないが。

山崎豊子先生の小説は、松本清張先生や池波正太郎先生、司馬遼太郎先生といった先生方と作品と共に。

今後も新しい読者を獲得しつつ、読まれ続けていくに違いない。

つまりは。

それだけ深い"モチーフ"と"キャラクター"が、作品中に埋蔵されているということに他ならない。

最近、小説を読み始めても、どうにも白々しくて途中で投げ出してしまうことが多いのだけれど。
(作者の"ま、この程度でいいんじゃないの"という表現や内容のものにも、しばしば遭遇するし)

この『白い巨搭』は、以前読んだ時とまったく同じように…いや、それ以上に。

食事する暇も惜しいほど、最後の最後まで読ませ抜く、深味のある"本物の小説"だ。


白い巨搭