主イエスをお迎えに上がる時 | アリエル ミッション

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1. 主をお迎えに上がる

後に生きて存れる我らは、彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯くていつまでも主と偕に居るべし。(1テサロニケ4:17 文語訳聖書)

携挙の瞬間が刻一刻と迫っています。Prophecy is real‼️Jesus is coming back soon‼️

しかし、所謂、携挙は、予期せぬ交通事故の様に、何かのアクシデント、突然のハプニングの様にして起こることではありません。それまで、ぼんやりと生きて来た者が、知らぬ間に、いつの間にか、ピュッと都合良く引き上げらるということでは決してありません。

携挙とは、我らが文語訳聖書が適切にも「空中にて主を迎え」と訳してる通り、キリストの花嫁が、恋焦がれる花婿を、お出迎えに上がることなのです‼️アーメン🔥ハレルヤ✨

文語訳で、空中にて主を迎え、とある言葉は、原語のギリシャ語では、ἀπάντησις(apantésis)という言葉です。この言葉は、外国の要人、例えばアメリカ🇺🇸の大統領が訪日する際、当然、日本🇯🇵側からも、首相クラスの要人が、飛行場まで、「お迎えに上がる」時などに使われる言葉です。

普段特に興味もなく、忘れていたり、関心のない人のためにわざわざ出迎えに上がる人はいません。

新改訳聖書には、もう一箇所、この ἀπάντησις (apantésis) という言葉が使われている箇所があります。勘の良い方ならすぐにピンと来るでしょう。そう!あの賢い乙女と愚かな乙女の例え話しの箇所です。

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。」(‭‭マタイ 25:1‬ ‭新共同訳‬‬)

花婿をお出迎えに上がるという言葉が、まさに、携挙の際に使われている言葉なのです。ご存知の通り、extra oil をちゃんと用意していた乙女だけが、花婿を出迎えることが出来たのです!

主は言われます。

「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。」‭‭(ルカ 12:35‬ ‭新共同訳‬‬)

今こそ、真理の帯をしっかりと締め、絶えず異言で祈り続けることによって、灯火🪔に新鮮な油、fresh anointing を注ぎ続けましょう!

「主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。」(‭‭ルカ12:36‬ ‭新共同訳‬‬)

私達は、今か今かと主イエス様のお帰りを待ち望んでいる者です。主が扉をノックする時、その心の扉を開けるのは、私達です。
この扉🚪は、自動ドアではありませんし、イエス様は、ウォリャーとばかりに戸を蹴破って強引に入ってくるお方ではありません。

言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」(‭‭マタイ 23:39‬ ‭新共同訳‬‬)

‘Blessed is He who comes in the name of the Lord!’ 

ヘブライ後では、Baruch haba b'shem Adonai! です。
Baruch haba は、現代のヘブライ語でも、日常的に使われている言葉で、誰かが、扉をノックした時に、「どうぞ!お入りください♪」という意味合いで使われています。

エルサレムに私達神のイスラエルが一つに集められ、イェシュア ハ マシアに向かって、「どうぞ、お入りください!」と叫ぶ日が来ています。

「主よ。立ち上がってください。あなたの安息の場所に、お入りください。あなたと、あなたの御力の箱も。」(詩篇132:8 新改訳聖書)

2. 携挙の招きに対する私達の応答

その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」‭‭(ヨハネの黙示録‬ ‭4:1‬ ‭新共同訳‬‬)

Come up here! この携挙の呼びかけに対しての、私達の応答というものがあるのです。

「その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。 ロトの妻を思い出しなさい。」(ルカ17:31-32 新改訳聖書)

これらの御言葉は、携挙の招きに対する私達が取り得る態度を現わしています。

一体なぜ、その日その時その瞬間、屋上にいたものは、慌てて階下にドタバタと降りて行ったのでしょう?
なぜ畑にいたものは、スタコラ家に向かって走っていったのでしょう?
ロトの妻は、なぜ、振り返ってしまったのでしょうか?
もちろん、階下に、自分の家に、ソドムに、自分の宝があったからです。

「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12:34 新改訳聖書)

その日その時その瞬間、キリストがあなたの心の宝であれば、あなたは、後ろを振り返ることなどありません。

携挙とは、あなたの、私の心の宝が何であるかが、はっきりとする瞬間なのです。

And God said unto Moses, I AM THAT I AM: and he said, Thus shalt thou say unto the children of Israel, I AM hath sent me unto you. (‭‭Exodus‬ ‭3:14‬ ‭KJV‬‬)

彼の名は、I AM です。He is my treasure! 主イエス様こそ、私達の宝です。
なぜなら、彼こそが、私達の命だからです。
Christ my life. 

キリスト我が命、、、それは、決して何か浮世離れした高尚な宗教的な生き方をしなさい、ということではありません。

「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:3-4 新改訳聖書)

とある通り、そもそも、全てのものは、見えるものも、見えないものも、このお方に在って造られ、このお方にあって有るようになったのですから、このお方を命、源として生きて行くことは、ごくごく当たり前のことなのです。

3. 主の日は盗人の様に来る

まことに、主の日は、盗人の様に来ます。

盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。 人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。(1‭‭テサロニケ‭5:2-3‬ ‭新共同訳‬‬)

ここで言う主の日とは、この世に対する神の裁きの時のことです。

「書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。」(‭‭ルカ21:22-23‬ ‭新共同訳‬‬)

言うのも苦しく、大変残念なことなのですが、やはり、神はご自身が送られた彼らのメシヤをいつまでもいつまでも受け入れない民を裁かざるを得ないのです。神の民に対する裁き、その御怒りが、黙示録などで、預言されている反キリストの台頭です。実に、反キリストの台頭そのものが、反逆を続けるエルサレムと、民への御怒りなのです。そして、その裁きが、全世界に波及してしまうわけです。

主イエスは、そのよう御怒りから、私達を救い出すために、間もなく帰って来ます。

「私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。」(1テサロニケ1:9-10 新改訳聖書)

この救いにもれることのない様に、私達は、絶えず異言で祈り、霊の目を覚まし、実際に主イエスをお迎えに上げられるよう準備している必要があります。目を覚ましていないと、主は盗人の様に来られ、ご自身にとって貴重な者だけを連れ去り、後は、Left behind! となってしまいます!

「主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」‭‭(ルカ12:38-40‬ ‭新共同訳‬‬)

「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」(‭‭ルカ ‭21:34-36‬ ‭新共同訳‬‬)

「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」(‭‭マタイ24:40-42‬ ‭新共同訳‬‬)

4. 派遣

「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。」‭‭(エゼキエル書‬ ‭33:7‬ ‭新共同訳‬‬)

余りにも、神の裁きの時が差し迫っています。主は、ご自身の見張り人を立て、角笛を吹き鳴らせ!と言われます。

「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」‭‭(マラキ書‬ ‭3:23‬ ‭新共同訳‬‬)

恐るべき主の日が来る前に、主は私達を遣わされます。今がその時です。

「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。」(‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭9:4‬ ‭新共同訳‬‬)

そう、確かに、誰も働くことの出来ない夜が来ます。

それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。」(‭‭ルカ 21:29-31‬ ‭新共同訳‬‬)

ユダヤ人が祖国に帰還を成し遂げただけではありません。
まことのメシヤを信じる神のイスラエルという栽培種のオリーブの木に接ぎ木された私達もまた、神のイスラエルの一部にされたという霊的自覚を回復している今、折られた枝であるユダヤ人もまた、私達の霊的自覚の回復と共に、まことのメシヤに向かって、心の目の覆いが取り除けられ、共にエルサレムに集められ、主イエスに向かって、Baruch haba b'shem Adonai!と叫ぶ時がもう来ています。

御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭22:17‬ ‭口語訳‬‬)

「これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。」(‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭22:20‬ ‭口語訳‬‬)


「1.6 主をお迎えに上がる時」など浦和祈りの家や安息日礼拝メッセージはこちらから聴く事が出来ます♪


〜見よ、わたしはすぐに来る〜

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