交差する手 〜The fullness of the gentiles comes in〜 | アリエル ミッション

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1. 交差する手


ヤコブ翁が、神のみもとに召される時が来ました。ヨセフは、二人の息子達を父のもとに連れて行きました。その時、ヤコブの口から意外なことが語られたのです。


「今、私がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムとマナセはルベンやシメオンと同じように私の子にする。」(創世記48:5 新改訳聖書)

何と、ヨセフの二人の息子は、ヤコブの孫であるにもかかわらず、今から、ヤコブの息子と成るというのです!
つまり、ヨセフの長男のマナセも、次男のエフライムも、ヤコブの財産をすぐにでも受け継ぐ立場になったということです。

本人達はもちろん、親のヨセフ、或いはヨセフの兄弟達も驚いたことでしょう!
えっ?こいつら未だ孫じゃね⁇
しかも、今や老ヤコブは、息を引き取る寸前なのです!

さらに、話しは、ここにとどまりませんでした。恵みは、私達の思いを遥かに超えて高く、また深いのです。

ヨセフは、息子達を、父ヤコブに祝福してもらおうとして、「ヨセフは二人の息子のうち、エフライムを自分の右手でイスラエルの左手に向かわせ、マナセを自分の左手でイスラエルの右手に向かわせ、二人を近寄らせた」(‭‭創世記‬ ‭48:13‬ ‭新共同訳‬‬) のです。ところが、、、

「イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。」(‭‭創世記‬ ‭48:14‬ ‭新共同訳‬‬)

何とイスラエルは、 (聖霊はこの時、ヤコブと呼ばずに、神が直接つけた名であるイスラエルと呼んでいます。確かに、これは、イスラエルとしての賜物と召命を引き継ぐ瞬間です!) 自分の手をわざわざ交差させて、長男を祝福する手を、次男エフライムの上に置いたのです。

「イスラエルの目は老齢のためかすんでよく見えなかった」(‭‭創世記‬ ‭48:10‬) ことを知っていたヨセフは、、、

父が右手をエフライムの頭の上に置いているのを見て、不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。 ヨセフは父に言った。 「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」‭‭(創世記‬ ‭48:17-18‬ ‭‬‬)

と、当然のことを言いました。しかし、イスラエルは、敢然と言い切ります。

ところが、父はそれを拒んで言った。 「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」(‭‭創世記‬ ‭48:19‬ ‭新共同訳‬‬)


イスラエルの肉の目はかすんでいたとしても、彼の心の目は透徹していました。
彼にはエフライムが、アブラハムの祝福を体現することがはっきりと見えていたのです。

実に、エフライム(実り多い、という意味です) は、「国々に満ちるものとなる」のです。この言葉は、そのまま、ロマ書の御言葉、the fulness of the Gentiles (‭‭Romans‬ ‭11:25‬ ‭KJV‬‬) ですね!


2. まことのメシヤを信じるイスラエル 〜神のイスラエル、栽培種のオリーブの木〜


この出来事は、今日の私達のことを預言しています。

「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソ2:10‬ ‭新共同訳‬‬)

私達は、神様の作品ですが、神様は、ご自身の御子であるキリスト・イエスに在って、一体どんな素晴らしい作品を完成したというのでしょうか?

「だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。」(‭‭エフェソ‭2:11‬ ‭新共同訳‬‬)

ええ、確かに、そうでしたね。

「また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」‭‭(エフェソ ‭2:12‬ ‭新共同訳‬‬)

仰る通り、一々ごもっとも。しかし!

「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」‭‭(エフェソ ‭2:13‬ ‭新共同訳‬‬)

そうです!今や、私達は、キリスト・イエスに於いてです!キリストの血によってです、近い者となったのです!アーメン!

繰り返します。キリスト・イエスに於いてです。in Christ, また、キリストの血のゆえです。
聖書は、また、聖霊様は、血肉のことを問題にしているのではありません。

とかく、私達は、自らを省みる時、血肉をあげつらうものです。曰く、生まれ育った時代や地域、曰く、卒業した学校🏫、曰く、親の顔!!!
ええ、もちろん、こう言った要素が私達の所謂人格形成に影響を及ぼしていることを否定しているわけではありませんが、、、今、そんなことを問題にしているのではないのです!

いいですか!あなたは、霊なんです。内なる人がReal You なんです。そして、この内なる人、霊の人の真のアイデンティティは、復活の栄光のキリストなのです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️

as He is, so are we in this world. (I John‬ ‭4:17‬ ‭NKJV‬‬)

今のイエス様がどうであるかが、今の私達がどうであるかを決定しているんです‼️
そして、この霊的な事実は、信仰を通して、体験の領域にマニフェストします。

で、、、このキリスト・イエス様が、アブラハムの子孫なのです。ですから、そのキリストの部分とされている私達もまた、当然アブラハムの子孫であり、約束に基づく相続人、法定相続人として、相続財産であるイスラエルの土地を相続したのです。

ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。(ガラテヤ ‭3:16, 29‬ ‭新共同訳‬‬)

「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」(‭‭エフェソ2:15‬ ‭新共同訳‬‬)

とある通り、頭なるイェシュアのもとで、ユダヤ人と私達は一体と成り、一人の新しい人とされ、イスラエルの土地を相続したのです。

「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」(‭‭エフェソ3:6‬ ‭新共同訳‬‬)

この素晴らしい神の作品は、福音により、キリスト・イエスに於いて創造されたのです!

さて、

「しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、 折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。」(ローマ‭11:17-20‬ ‭新共同訳‬‬)

イスラエル🇮🇱に行くとすぐに分かりますが、私達には馴染みの薄いオリーブの木が、そこら中に生えています。そんな一般的な、謂わば野生種のオリーブの木々の中に、一本だけ目立つオリーブの木があります。これこそは、神様が手塩にかけて育てて来た一本のオリーブの木があります。
これそ、アブラハムを根とするところの栽培種のオリーブの木、即ち、神のイスラエル、まことのメシヤを信じるイスラエルのことです。

残念なことに、この栽培種のオリーブの木から、ポキンと折られてしまったのが、一部の(多くの)ユダヤ人です。なぜ、折られてしまったかというと、原因は一つです。まことのメシヤを拒絶してしまったからですね。このオリーブの木は、まことのメシヤを信じるイスラエルなのですから、それは、まことのメシヤを拒絶してしまえば、折り取られてしまいます。

その代わりと言っては何ですが、、、

私達は、もともとは、イスラエルとは縁もゆかりもなかった雑草の如く生えている野生種のオリーブの木でしたが、この立派な神のイスラエルという一本の栽培種のオリーブの木に接ぎ木され、その根から豊かな養分を受けるようになったのです!ハレルヤ!

もちろん、神様が接ぎ木したのですから、無様な継ぎ目など一切ありません!綺麗な一本のオリーブの木と成っています!ハレルヤ✨
(一本の栽培種のオリーブの木、即ち、一人の新しい人なのですから、神様が新しく創造した人間がツギハギだらけなわけはありません!)

ヨセフの次男エフライムは、本来なら、ヤコブお祖父さんが亡くなった後、先ずはヨセフお父さんが、お爺ちゃんの財産を受け継ぎ、それからまた、しば〜らくして、ヨセフお父さんが死んだ後に、はじめて相続財産に与かるはずでした。

また、エフライムは次男ですから、常にマナセお兄ちゃんの後塵を拝する立場のはずです。ところが、今や、長子扱い、正真正銘の相続人です‼️突然の二階級特進です‼️オオッ‼️

このように、私達も神の民イスラエルとは何の関係もありませんでしたが、キリストの血のゆえに近い者とされ、今や、正真正銘の、神のイスラエルなのです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️
それは、突然交差して伸ばされた祝福の御手でした‼️

確かに、突然、手が交差して出て来て頭の上に置かれたりしたものですから、驚いてしまい、訳も分からず、なかなか相続人としての自覚を持てないでいました。しかし、いつまでも、無自覚のままではいけません。

イスラエルの土地を継いだところのアブラハムの祝福の相続人としての自覚をしっかりと持つ必要があります。
相続人であることがあやふやでは、相続財産を喜び祝うことなど到底出来ません。

もちろん!このことは、単なる僥倖、ラッキー✌️!だなんていう話しでは断じてありません。実は、私達は、天地創造の遥か前から、神のイスラエル、復活のイスラエル十二部族として、神の御子に在って選ばれていたということなのです。アーメン。ハレルヤ。

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(エフェソ1:4-5‬ ‭新共同訳‬‬)

3. 世界中に増え広がるエフライム

「その子孫は国々に満ちるものとなる。」‭‭(創世記‬ ‭48:19‬ )

この預言の言葉は、裁きによって実現して行きました。

「ユダの人々とイスラエルの人々は ひとつに集められ 一人の頭を立てて、その地から上って来る。 イズレエルの日は栄光に満たされる。」(‭‭ホセア書‬ ‭2:2‬ ‭新共同訳‬‬)

イズレエル、即ち、神が撒き散らす、或いは、神が植えるという言葉が示している通り、エフライムは、諸国民の間に撒き散らされつつ、しっかり約束の地に植えられるのです。

ダビデ王は、永遠の神の都であるエルサレムに王座を設け、イスラエルの十二の部族を一つに統一して、王国を確立しました。しかし、その息子ソロモンの治世の後半、様子がおかしくなり、ソロモンの後を継いだレバべアムの王の時、王国は南北に分断されてしまいます。その際、北イスラエル、即ち、エフライムの初代王となったのが、エフライム族出身のヤハベアム王です。

「そのころ、ヤロブアムがエルサレムを出ると、シロの預言者アヒヤが道で彼に出会った。預言者は真新しい外套を着ていた。野には二人のほかだれもいなかった。 アヒヤは着ていた真新しい外套を手にとり、十二切れに引き裂き、 ヤロブアムに言った。 「十切れを取るがよい。イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはソロモンの手から王国を裂いて取り上げ、十の部族をあなたに与える。」(列王記上‬ ‭11:29-31‬ ‭新共同訳‬‬)

オオッ!まるで映画のワンシーンのような!

彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」 彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。 この事は罪の源となった。民はその一体の子牛を礼拝するためダンまで行った。 彼はまた聖なる高台に神殿を設け、レビ人でない民の中から一部の者を祭司に任じた。 ヤロブアムはユダにある祭りに倣って第八の月の十五日に祭りを執り行い、自ら祭壇に上った。ベテルでこのように行って、彼は自分の造った子牛にいけにえをささげ、自分の造った聖なる高台のための祭司をベテルに立てた。 彼は勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、自らベテルに造った祭壇に上った。彼はイスラエルの人々のために祭りを定め、自ら祭壇に上って香をたいた。」(列王記上‬ ‭12:28-33‬ ‭新共同訳‬‬)

結局、ヤロベアム王は、致命的とも言える悪手を次から次へと繰り出してしまいます。結果、どうなったかというと、、、

「主はイスラエルに対して激しく憤り、彼らを御前から退け、ただユダの部族しか残されなかった。」(列王記下‬ ‭17:18‬ ‭新共同訳‬‬)

北イスラエル、十部族、エフライムは、種として、国々に撒き散らされ、地に落ちて死にました。彼らは、文字通り、死に、姿を消しました。

しかし‼️地に落ちて死んだ種は、やがて復活の命によって芽を出し、再び多くの実を結ばせ、刈り取りの時を迎え、エルサレムでその収穫を祝う時が来るのです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️

「主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:4-6 新改訳聖書)

後に、同じく神によって裁かれた南ユダとは、明らかに神様の取り扱いが大きく異なります。
ユダは、バビロンに捕囚として引かれて行きましたが、民族としてのアイデンティティは失わず、トーラーを保ち、安息日を保ち、いわばユダには保存の召しがありました。逆に純化されて戻って来た感さえします。
エフライムは違います。エフライムは、消えたのです。死んでしまったのです。
しかし!神は復活の神です。死者に命を与え、無から有を呼び起こすお方です。

エフライムは、世界中に満ちる!アーメン!
ですから、十部族は、どこか辺境の地に僅かに残されたものが、細々と生きながらえていた、などというのではなく、また、どこか極東だか、極北だかの小さな島国で、生存していたいうのではないのです。そのような可能性を全面的に否定する必要はありませんが、聖書が語っているのは、聖霊が言われているのは、エフライムは、やはりその名が示す通り、世界をカバーしてしまうほどに、世界中に増え広がるということなのです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️

今まで、私達は、神のイスラエルとしての霊的自覚を持てないでいましたが、時が満ちました。今や、確かに、エフライムの復活、ユダとの合体、イスラエルの土地への全家の帰還の時なのです。

3. The fullness of the gentiles comes in‼️

ここで、今一度、偉大な預言、真理の御言葉に耳を傾けましょう。

For I do not desire, brethren, that you should be ignorant of this mystery, lest you should be wise in your own opinion, that blindness in part has happened to Israel until the fullness of the Gentiles has come in. (‭‭Romans‬ ‭11:25‬ ‭NKJV‬‬)

現状、イスラエルの一部に霊的頑なさが生じてしまっています。どうしても、メシヤであるイェシュアを受け入れることが出来ないでいるのです。しかし、その途方もない頑固さ、霊的盲目も、the fullness of the Gentles が来るまでの話しです。
即ち、「国々に満ちるもの」である私達が、神のイスラエルとしての自覚を回復し、イスラエルの土地に帰って来るまでの話しです‼️

ユダとエフライムの合体、イスラエル全家の帰還預言は、主イエス様のもとで、ユダヤ人と諸国民が一体とされ、新しい一人の人がイスラエルの地に現われる時に実現します。今がその時です。


浦和祈りの家や安息日礼拝メッセージはこちらから聴く事が出来ます♪

〜見よ、わたしはすぐに来る〜

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