彼女は再び身ごもり、女の子を産んだ。主は彼に言われた。 「その子を ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)と名付けよ。 わたしは、もはやイスラエルの家を憐れまず 彼らを決して赦さないからだ。
彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、また身ごもって、男の子を産んだ。 主は言われた。 「その子を ロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。 あなたたちはわたしの民ではなく わたしはあなたたちの神ではないからだ。」(ホセア1:6, 8-9 新共同訳)
ホセアとゴメルの間には、続けて娘が産まれました。しかし、ヤハウェは、その子に「ロールハマ」と名付けるように命じます。「憐れまれない者」の意です。「ロー」というヘブライ語の否定語が重く響きます。
それにしても、娘をお持ちのお父さん方、、、
さらに、ゴメルは、男の子を産みます。今度は、ヤハウェなる神は、「ローアンミ」、即ち、「我が民ではない者」という意味です。またしても重苦しく響いてしまう「ロー」という否定語が付きます。
で、世のお父さん方、、、特別な愛の対象でもある末っ子に向かって、「おーい、我が民でない者よー」と声をかける事が出来ますか?
そもそも、彼らの母親、つまりホセアの妻は、どうしようもない浮気性で、ろくに家庭を顧みない女です。一体、この家庭の行く末はどうなってしまうのでしょう⁇
ご安心ください。神は回復の神です。死んでしまった者を生き返らせ、消えていなくなってしまって、遂には完全に忘れ去られてしまった者を連れ戻すお方です‼️ハレルヤ‼️
しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。(ホセア 1:10 口語訳)
確かに、裁きが執行され、イスラエルの地を追放されたとはいえ、結果的に、北イスラエル、エフライムは、海の砂のように増えて、その相続地に帰還し、かつて追放されたその場所で、「生ける神の子」と呼ばれるのです‼️ハレルヤ‼️
そうです、北イスラエルは、再び南ユダと一つにされ、一人のかしら、即ちメシヤであるイェシュアをたてて、イスラエルの土地に帰還するのです。
ユダの人々とイスラエルの人々は ひとつに集められ 一人の頭を立てて、その地から上って来る。 イズレエルの日は栄光に満たされる。 あなたたちは兄弟に向かって 「アンミ(わが民)」と言え。 あなたたちは姉妹に向かって 「ルハマ(憐れまれる者)」と言え。(ホセア2:2-3 新共同訳)
こうして、北イスラエル、エフライムは、再びヤハウェなる神から「アンミ」「我が民よ❣️」と呼ばれ、同時に「ルハマ」「憐れまれる者よ❣️」と呼ばれるのです‼️アーメン‼️
遂にあの陰鬱な印象を与えていた「ロー」の字は名前から取り去られたのです‼️ハレルヤ‼️
今がその時です。
驚くべきことに、聖霊はパウロを通して、ロマ書9章の中で、このホセア書の預言を引用し、私達、異邦人の救いのご計画の御言葉として光を当てています。
神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。 ホセアの書にも、次のように述べられています。 「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、 愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。 『あなたたちは、わたしの民ではない』 と言われたその場所で、 彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」(ローマ9:24-26 新共同訳)
確かに私達は、「以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」(エフェソ2:11-12 新共同訳)
しかし、私達は「以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」(エフェソ2:13 新共同訳)
「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現」(エフェソ2:15 新共同訳) したのです‼️
「ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになった」(ローマ11:17 新共同訳) とある通り、神のイスラエルという栽培種の一本のオリーブ🫒の木に私達は接ぎ木され、アブラハム、イサク、ヤコブとの神の契約に基づく祝福に与かっています。
これらの御言葉から分かるように、エフライムとユダの合体劇は、頭(かしら)なる主イエスのもとで、ユダヤ人と諸国民が一体となり、一人の新しい人として、イスラエルの土地に植えられることをもって成就するのです‼️ハレルヤ‼️
エフライムは、初めから、fullness of gentiles になると預言されていました。
「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」(創世記 48:19 新共同訳)
ここで預言されている弟の方というのが、エフライムです。その子孫は国々に満ちたものとなるとの預言です。
そして、この預言は裁きによって実現しました。エフライムは裁かれ、相続地から追い出され、国々に撒き散らされました。そして、地に落ちて死んだのです。
しかし、死ねば豊かな実を結びます。やがて、芽を出し🌱、花を咲かせ🌼、実を結び、遂には刈り取りの時期を迎えます。
エフライムは死に、忘れ去られましたが、見事に復活し、今や国々を満たしています❗️神のイスラエルというオリーブ🫒の木に接ぎ木された私達のことです‼️
そして、今、私達がまさに復活のイスラエルとして、一人の頭、イェシュアを立てて、私達の相続地、イスラエルの土地に帰還する時が来たのです‼️ハレルヤ‼️
今、霊の内に深く思わされるのは、キリストの復活は、新しい私達の復活であるだけでなく、エフライム、イスラエルの復活であるということです。
今日、私達がキリストに在って復活のイスラエルであるとの霊的自覚を持つ時、頭(かしら)の権威が解き放たれます。
主イエスは、イスラエル十二部族を統一する王であるからです。
ですから、復活の十二部族の一員であるという霊的自覚を持つ者に、頭の持つ権威を託されたとの確信が与えられるのです。
「さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。 そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」(マルコ3:13-15 口語訳)
弟子の十二という数は、もちろん、十二の部族に由来します。
今日、私達復活の十二部族がこのように主の祈りの山に呼び集められ、御側に置かれたのは、天のKingdomを告げ知らせると同時に、その天の御座の権威を行使し、死を司る者どもを追い払うためです‼️アーメン‼️ハレルヤ‼️
時が満ちました。一人のかしらを立て、ユダヤ人と一つにされていることを知り、イスラエルの土地に帰る時が。
(ホセア書4、ファイナルに続きます)
次回、いよいよ最終回、「ホセア書(4) ファイナル 」
狂った愛を取り戻すのは、もっと凄まじい愛だった‼️
〜その時、あなたを抱きとめてくれる人がいるのを知っていますか〜
シオンの丘
(当ブログ記事は、21年8月3日の記事の修正版です。)
浦和祈りの家の礼拝メッセージは、以下のドライブからお聞きください♪
「ホセア書 神の愛」「ホセア書1〜2」「ホセア書3〜4」などオススメ多数です!
〜見よ、わたしはすぐに来る〜
🇮🇱🇯🇵アリエル ミッション は、エルサレムの平和を求め、ダビデの仮庵の回復というビジョンのもと、キリストの恵みの良き知らせを、日本に、イスラエルに、そして全世界に宣べ伝えています。