父と走った東京マラソン | ○○○○○カジマンのブログ●●●●●

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いよいよ明日「東京マラソン2016」です。

今回で第10回大会を数えます。
石原都知事時代にね、ニューヨークやベルリン、ボストン、ロンドン、シドニーなど大都市でのフルマラソンを東京でも実現させよう…という提唱が発端であると聞いています。
当時、私自身も2000年から東京マラソン実現への思いを込めた組織主催の「東京夢舞いマラソン」というのに関わって参加していました。

これは都内の指定された42.195kmのコースを、そろいのTシャツを着てゼッケン替わりのメッセージを胸と背中に付けてめいめいのペースで走るというものです。タイムを測るものではありません。あくまでも信号厳守、歩道の歩行者優先で決められたコースをなぞって進むんです。「都内全域のマラソンオリエンテーリング」という感じですね。

このイベントは今でも続いているそうです。
なるべく一般の人たちや近隣の住民に迷惑が掛からないようなコースが毎年工夫され設定されるので、参加するたび23区内のニッチなスペースや隠れたスポットを知ることができました。
都内のこんなところにこんな公園があり、川沿いやこの道の延長線上で、へぇ~ここに出てくるんだぁとかね。
そうそう、当時まだ土台近くを建設している「東京スカイツリー」の近くも走ったのを今思い出しました。

東京マラソンに話を戻します。
カジマンね、運よく2007年の第1回目に参加することができたんです。
ランナーとしてつくづく感じたこと。
スバリ、まさに「東京がひとつになる日」そのものを体感できるんですよ。
3万7000人のランナー、1万人の運営ボランティアほかランナーを盛り立ててくれる様々な団体組織や沿道の人たち…と、「マラソン」というより、これはまぎれもなく東京を挙げてつくられた「お祭り」です。1回経験するとね、すごくハマリますよぉ。

第1回大会、朝から小雨まじりですごく寒かったです。
実は朝7時頃から会場入りしてヨーイドンの先頭に並んだんですよ。当時自分の中ではね、まだ「レース」という位置づけにあったしこの時の意気ごみはとっても強かったです。
スタートまで寒さを堪え足踏みや屈伸しながらじっと待ってました。

で、9時5分前ぐらいにね、車いすランナーがスーッと入ってきて9時ちょうどにスタート。
ちなみにこれが日本初の車いすマラソンだったそうです。エントリーは10人もいなかった。
障がい者スポーツはその後飛躍的に環境が変わりましたね。
10回目にしてね、今年は日本初の車いすの国際レースにまでなったそうですよ。

第1回目東京マラソンは、個人的な特別な思い入れもありました。
この年の正月明けに父親が他界したんです。
仕事以外とりわけ趣味もなかった父は土建業…。
人生の半分ぐらいはダンプに乗っていたんじゃないかな?
なので、東京の道路事情は詳しかったハズです。
そして、東京マラソンは、七七忌日の直前に行われたものでした。

でね、背中のゼッケンにラミネートした父の写真をしっかり貼りました。
「親父…、今日は一緒に東京を走ろう!」

石原さんの号砲が鳴ってからフィニッシュするまでね、沿道の人たちからの切れ目ない応援と背中の親父と走ってるという思い…
42.195㎞ずーっとなんか嬉しくてね、気持ちが高ぶってぜんぜん疲れませんでした。