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かいぜん日記

すっきりと快適な暮らしをするために日々生活を「かいぜん」するのが目標です。

もう4月!?


3月、地震以降はホントにバタバタしてあっという間のような…


でも不安で落ち着かなくてとんでもなく長かったような…




この1週間は


なんだか何も手に付かない日々でした。


やらなくちゃならないことは沢山あるのに…無気力。


夜はいっくんと一緒に布団に入って朝まで寝ちゃうし。



震災前にダイエットしていた旦那さんも、


夕飯のごはんをパスしてるくせに深夜にバカ食いしちゃったり…


食生活がおかしくなってます。


そういう私もチョコのバカ食いが止まりません…Σ(・ω・;|||



色んなことが少しずつ落ち着いてきて、


溜まっていたストレスが出てきたのかなぁ。



でもまだまだ心配なことは続いていますが。





気付けば来週は幼稚園の入園式。


入園準備も遅れまくっているので、そろそろ気持ちを切り替えてやらねば☆



それにしても、市内のお店も


地震の被害が大きかったところはそのまま閉店してしまったり…


OPEN予定だったところも延期になったままだし。



不便というのもあるけど、


それより


こんな形で終わっちゃうなんて寂しいかぎりです。(ノДT)








私のいとこ(同い年、男性)の話ですが、

2年前に亡くなった祖母が夢枕に立ち


「大きい地震がくる」と言っていたというのです。


祖母は生きていればちょうど100歳という高齢。

関東大震災を経験していて

そのときの話しなどよく聞かせてくれたりしたのを思い出しました。


「竹やぶに逃げろ」と言われ逃げたこと。(竹は根がしっかりしているから?)


しかし頭がゴンゴン竹にぶつかりダメだったこと。


その後、東京の方の空が真っ赤になっていったこと。



皆さんご存じかと思いますが、

関東大震災が起きたのは正午ごろということもあり

火災が広がり多くの犠牲者が出たそうです。




自然災害の前では人間は無力…

それでも繰り返し立ち上がってきた。

たくさんの悲しい状況を乗り越えて。


今、また頑張る時です。

踏ん張りましょう!みんなで。






『私にできること』/KOKIA

                     

遠く離れてても あなたを想ってる
そんな私の気持ちが届いたらいいなぁ
                     

ふとした偶然で 今交わった人生 
だから私にも何か できることあるかなぁ

支てくれたのはいつだって誰かの言葉
優しい励ましが 心にすっとしみ込んだ


だから今私からもこの言葉を送りたい
                   

1人じゃないよ 何もできないけど 辛い時こそ心に 歌をかかげて

がんばってほしい 乗り越えてほしい 届いてほしいこの気持ち
あなたに贈る歌 私にできること

どんな励ましなら あなたに届くだろう?
思い浮かばないままに 時間が過ぎてゆく


支えてくれたのは あの時のあなたの言葉
優しい励ましが 心にすっとしみ込んだ

だから今度は私からもこの言葉を送りたい

1人じゃないよ 何もできないけど 辛い時こそ 誰かと支え合って
がんばってほしい 乗り越えてほしい 届いて欲しいこの気持ち

あなたに贈る歌 

困った時には かわりばんこに 励まし助け合いたい

だから今歌うよ 私にできること




中越沖地震の起きた時に

ひとりのファンの方の為に作った曲だそうです。

とっても力の湧いてくる歌です。


昨日、実家に行った時に


カレンダーに書いてあったお話しです。




あるとき森が燃えていました。


森の生きものたちは、われ先にと逃げていきました。



でもクリキンディという名のハチドリは、いったりきたり

くちばしで水のひとしづくを1滴ずつ運んでは、

火の上に落としていきます。



動物たちがそれを見て

「そんなことをしていったい何になるんだ」

といって笑います。



クリキンディはこう答えました

「私は私にできることをしているの」




いつも目にしていたカレンダーですが

心に響きました。虹


あの地震から昨日で一週間が経ちました。




私は月曜日から仕事に行っています。



職場でもあちこち亀裂が入ったり壊れた部分がありました。

階段のひとつはまだ使用禁止になったままです。


ですが、製造の設備の点検なども済んで

再び生産が始まっています。



私の周囲ではみんな地震酔いの症状があるようです。

私も立っている時、階段の登り降り、会社のトイレ…

いまだに揺れているような感覚が抜けません。

こういうのもストレス障害というのでしょうか…?


いっくんも地震や大きい音には敏感になってしまい

少しの揺れでもすぐに飛びついてきます。

テレビや携帯に入る緊急地震速報の警告音を聞いただけでも。


抱っこしたり「大丈夫だよ」と声をかけたり

少しでも不安が和らぐようにしてあげたいです。





ガソリンは毎日長蛇の列…

何時間も待たなくては入れられないなんて。


この辺は移動の手段を車に頼るしかなく深刻な問題です。

私は地震の数日前に給油したばかりだったので、

なんとかもっていますが…

できるだけエコな運転でギリギリまで頑張ってみます。

来週には解消されるって本当でしょうか…?





携帯で撮った写真をいくつか。



職場の電波時計が止まっていました。

地震の揺れで電池が落ちたため。
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ズサーーーっと落ちた(剥がれた?)のはこの外壁でした。

誰も怪我なく本当に良かった。
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家の庭に落ちた瓦。

屋根の上にも落ちてこなかったのがたくさんありました。
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屋根の応急処置に使ったブルーシートは

じいちゃんの友達からお借りしました。


田舎なので瓦屋根の家がけっこう多く

見渡せばその大部分の家の屋根にはブルーシートが…





不安はまだまだ消えませんが

少しずつでも前を向いて頑張りましょう。




地震がきた時は仕事中でした。


工場の2階にある事務所なので、普段から下でクレーンが動く度に揺れるような環境。

ただ地震とは少し違う揺れなので、揺れ始めは周りの人と顔を見合わせ

「これは地震だよな…」という確認。


なかなか揺れが収まらず、冗談半分だった「逃げようか」が

上司の「外に出ろー!」の声で現実になる。


かろうじて靴は履き替えたけれど、

階段を降りる頃には揺れがひどくなり足元がおぼつかない…


手すりを頼りに降りて外へ。ますます揺れはひどくなる。


突然「ズサァーーー!」という音。

そっちを見ると砂埃があがっていました。

どうやら工場の外壁が剥がれたらしく…

でも私の居た場所からは離れていたのでよく確認できず。


駐車場の車はボンボン跳ねているし、壁からは離れなくちゃ危ないし…

どこにいれば安全なのか全くわからず。

立っていられないのでしゃがんで揺れの収まるのを待ちました。


その後、工場の裏にあるグランドに避難して待機。

防寒着など着て出る余裕も無かったので寒いのと恐怖で手がずっと震えていました。


携帯は通じなかったけれどメールはなんとか送れたので、

この間に家族も実家も無事ということが確認できひとまず安心。


その後1度事務所に荷物を取りに戻りました。

室内は書棚が動いたりファイルが飛び出していたり…

でも余震がずっと続いていたのでそのまますぐに帰宅しました。


余震の揺れを感じながらの運転。

停電で信号の消えた交差点。

(1ヶ所だけ、大きい交差点では警察の方が交通整理してくれてた)

工業団地ということもあり大渋滞の道を譲り合いながら運転していると、

コンビニが混み合ってる。


停電…夕飯どうしよう…という思いが頭をよぎり次のコンビニに立ち寄ってみる。

店内は暗いけどレジは動いてました。

予想通りおにぎりは全滅だったけれど、まだパンが残っていたので

他にも水、お菓子、チョコなどを買いました。


帰宅途中、大きなガラスの割れたお店、瓦の落ちた家、石塀の倒れた家…

いつも通る道じゃないみたいな光景が次々目に入ってくる。


家に着くといっくんがトコトコやってきて「どうしたの?まだ朝だよ?」と空を指差して言いました。

いつもより早い帰宅に驚いたのかな?(朝=空が明るいってこと?)


「地震怖かった?」と聞くと「こわかった。パパが抱っこしてくれたの。」


そしてこの日はずっと

「じしんこわい!そとに逃げよう!」と家の中に入るのを嫌がってました。

でも暗くなる前に割れた食器だけでも片付けなくては。


電気と水は断たれていました。

家の被害は屋根の瓦がそうとう落ちてしまったこと。

庭にあった燈篭(とうろう)が崩壊したこと。

台所の食器棚から飛び出した食器が割れたこと。

神棚が落ちて壊れたこと。

壁(家の中)に亀裂が入ったこと。


他にも細かいものがもろもろ飛び出したり、壊れたり。

でも幸い家具類はひとつも倒れず済みました。


水道は断水すると放送があったみたいでその前に確保できたようです。

ガスだけは使えたのでありがたかった。

懐中電灯もラジオも壊れていて不安でしたが、ロウソクは仏壇用のがたくさんあったし

今どき珍しい石油ストーブが1台あるので暖はとれました。


茶の間で家族みんなで雑魚寝しましたが、ひっきりなしの余震だし

ほとんど眠れない夜を過ごし朝を迎えました。


新聞で被害の大きさを知り驚愕。

私の住む栃木県真岡市は震度6強だったそうです。

携帯は充電できないのであまり使わないようにし、

ラジオも聞けないのでほとんど情報が入っていなかったのです。


午前中は家の中の片付けをし、

実家の様子を見に行く途中スーパーの前を通ると

店の外でカップラーメンや水、その他決まった商品だけですが

販売していました。

赤ちゃんのオムツも店員さんに言えば中から出してきてくれるようでした。


実家の益子では震度5強、電気は停まっていましたがガス、水は使えたそうです。


午後は落ちた瓦の片付け。

月曜日は天気が悪そうなので応急処置でシートを被せることにしました。


夕方になりようやく電気が復旧。

すぐに家の中に掃除機をかけました。

テレビからは悲惨な状況が伝えられ、

家族に怪我人もでなかったことをありがたく思いました。


今朝は数時間でしたが水道も使えたので、急いでお風呂に入り

洗濯をし、食器を洗い、雑巾がけをし…


なんとか一息つけたような気がします。


電気に頼り切った生活。

当たり前に水が出ることのありがたさ。

いろいろ思い知らされました。



でもまだ終わった訳ではありません。

余震も続いてます。

その度、いっくんは「揺れてる?」と言って私にしがみついてきて怯た表情。


まだまだ油断しないで備えたいと思います。