菜根譚(さいこんたん)逆境の哲学(1)
https://ameblo.jp/kaiyorihajimeyo30/entry-12443037177.html

菜根譚(さいこんたん)逆境の哲学(2)

菜根譚(さいこんたん)逆境の哲学(3)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

↑↑100分de名著

菜根譚
人、常に菜根を噛み得ば、
則ち百時なすべし。(汪信民)
【訳】
野菜の根は固くて筋が多い、
しかし、日頃、苦にせず
良く噛んでいれば、
何事も成し遂げられる。

【物事の捉え方】

機(き)動(うご)くは、弓影(きゅうえい)も疑(うたが)いて蛇蝎(だかつ)と為(な)し、寝石(しんせき)も視(み)て伏虎(ふっこ)と為(な)す。
此(この)中(うち)渾(すべ)て是(こ)れ殺気(さっき)なり。
念(ねん)息(や)むは、石虎(せっこ)も海鷗(かいおう)と作(な)し、蛙声(あせい)も鼓吹(こすい)に当(あ)つべし。
触(ふ)るる処(ところ)倶(とも)に真機(しんき)を見(み)る。

【訳】
心が動揺している者は、弓の陰を見ても蛇かサソリかと疑い、横たわっている石を見て伏している虎だと見做す。

そこには全て殺気がある。

雑念を持たない者は、暴虐な虎もカモメのように手なずけ、カエルの鳴き声でも太鼓や笛のように聴くことが出来る。

そこには全てが真気がある。

つまり、達人は如何なるものからでも、本質をつかめるということ。

言換えれば、一を知れば千を見通せるということだ。


なんでいつも私ばかり…

いつも辛い事ばかり…

あの人が羨ましい…妬ましい…

いつも辛いことばかり…

などは【雑念】と呼ばれ、

その、物事に囚われている間は

自らが敵を作り出している事すら

気づかない。


しかし、ここで大事な事が
必ず物事には2面性の考え方が

あると言う事を意識して、
自らが理解し、前に進まなければ

行けないことを、記載されている。

例えば、

なんでいつも私ばかり…
この辛い経験は私の未来への私への
力になりえる。

菜根譚でこのような言葉がある。

【一苦一楽】

楽しみを味わう為には、
苦労をしなければいけない。

苦労がないと、苦労は必ず
いつぞや、経験しなければ

いけないのに乗り越えられ
なくなる。

【まとめ】

苦労を避けない…

苦労から逃げない…

苦労を肥やしにして自分を
切磋琢磨する…

苦労から逃げない為には、
やはり、修練が必要。

修練するために学ぶ。
しかし、学ぶ時にも落とし穴が
ある。

学ぶ際は、文字、言葉の
奴隷にならない。

口先だけの学問は意味がない。

いくら書物、研修、セミナーを

受けたとしても、行動や経験が

伴わない単なる、文字、言葉の

奴隷に過ぎず、口先だけになり、

いざ、行動となっても、

言い訳だらけの、口先人間に

なってしまう。

とは言えど、辛いものは、

辛いと言う人もいる。

その為には、精神を鍛練。

何かしらの経験を望むほかない。

最初どんな事でも良いから

あえて、辛い事を少しずつ増やし

乗り越える鍛練をしていく。

じゃあ具体的に何をするのか?

一番簡単な方法は、体を鍛えたり、

運動すること。運動は知識も大事

だが、経験が大事である為です。

いくら運動の知識があっても、

体は違う。経験でしか、体は

鍛えられない。そして、鍛えながら

辛い程、
辛いことに立ち向かう力

になる。

私の経験で言うならば、

私の場合はサイクリングがそれに

該当する。

私のサイクリングコースは往復

60㎞以上で坂が4回程ある。

たまには、雨がふり、

たまには、雪が降り、

たまには、近くに大きな雷が落ちる

しかし、そのような状況でも

私はサイクリングコースで

諦めようとはしない。

それは、人生も同じような物だと

考えるからである。

人生においても、

急に雨のような辛く、悲しい

どしゃ降りのような出来事も

ある。

雪のような寂しさも失う事で

体験する事もある。

しかし、それでも乗り越えなければ

いけないからです。

そんななかでも、

菜根譚

【人生の畑】作りの考え方に

おいては、とても参考に

なると思います。

少しでもお役立て頂ければと
心より願っております。