菜根譚(さいこんたん)逆境の哲学(1)
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菜根譚(さいこんたん)逆境の哲学(2)

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↑↑100分de名著

菜根譚
人、常に菜根を噛み得ば、
則ち百時なすべし。(汪信民)
【訳】
野菜の根は固くて筋が多い、
しかし、日頃、苦にせず
良く噛んでいれば、
何事も成し遂げられる。

【素直に、誠実に】
信人者、人未必尽誠、己則独誠矣。
疑人者、人未必皆詐、己則先詐矣。
【訳】
他人を信じる者は、人間誰もが誠実であるとは限らないなかで、確実に誠実な人間である。

他人を疑う者は、人間誰もが不誠実とは限らないが、確実に不誠実な人間である。

つまり、他人は自分の鏡ですよ、ということ。言い換えれば、信じる人間は信じられ、疑う人間は疑われ、嘘をつく人間は嘘をつかれるのですよ、ということ。




自分自身が誠実、素直であるので
あれば人を疑う気疲れはしない…

誠実、素直な自分自身であれば、
自分自身を信じられることができる。

例え人に騙されようと自分自身は
誠実、素直だから、それで良い。

【競争社会で平穏な
 自分自身である為に】

世に処するには、一歩を譲るを高しと為す。歩を退くは、即ち歩を進むるの張本なり。

【訳】
譲って一歩を退くのは前に進んで
行く時の伏線になる。
進む為に譲る。

戦ってしまった後にどのような
末路になってしまうのか
考えなければいけない。

これは自らが歩いている時も
同じ事が言える。

対抗側から歩いている人と
同じ方向を行こうとして、

お互いに譲らない場合が
それに該当する。

お互い譲らず、場合によっては
けんかになってしまい、

けんかが終わったとしても、
勝った方は、満足感にひたり、

また、同じ満足感をひたりたい
為に、いつも、誰かとぶつかり、

勝ちはすれど、終いに、気疲れ
してしまい、

負けた方も、悲観してしまい、
『なんでいつも私だけ』と

なってしまい、こちらも
気疲れをしてしまう。

そうならない為に一歩譲る精神
が必要である。

私自身も歩いたり、
自転車で行く際は、

危ないと思った時は、
立ち止まったり、一歩下がる

争いを無意識に起こす精神

を少し省みたいと思いました。

少しでもお役立て頂ければと
心より願っております。