補完代替医療というのは二つの要因があると思うのよ。ひとつは医師、または医業の代わりということ。「代替」医療ね。オレが籍を置く柔道整復というのがまさにそれで、かつて整形外科医が不足していた時代にその代替行為として骨折脱臼をはじめとする外傷への施術を行っていた。健康保険が使えるのも整形外科医が不足していた時代であったから、ということ。

 

そうであれば、これだけ整形外科のクリニックが存在する現代社会にあって「代替」医療としての柔道整復師の役割はとっくに終了している。社会から消え去るかそれとも代替医療以外の存在価値を創出する必要がある。

 

その「価値」のひとつが「補完」医療ということになるだろうと考える。整形外科で診察治療を受けても改善しない症状はごまんとある。腰痛ひとつとってもそうだろう。本来医師、医業は患者さんの生命を救うための存在だろう。そうしてイノチにはかかわりないけれど日常をより機嫌よく過ごすために医業では改善しない症状に対応するのが補完医療だろう。

 

補完医療は必然的にいわゆる現代医学と別の身体観、生命観が必要になってくるだろうね。必ずしも現代医学と対立する必要はないけれど、現代医学の足りないところを補うことが補完医療の役目であるならば必然的にそうなってしまう。現代医学に対する補完医療として確立されている医療体系、東洋医学もカイロプラクティックもオステオパシーもアーユルベーダもそういうスタンスでしょう?(アーユルベーダは全く知らないから、見当違いならごめんなさい)

 

そうしてそれらの身体観、生命観はスピリチュアルと総称されるものに収れんしていくのは必然だろうと思うのよ。カイロプラクティックでいうイネイトインテリジェンスだって、クラニオセイクラル(オステオパシーのテクニックです)のもろもろの手法だって十分にスピリチュアルだもの。そうして日本を震撼させた宗教カルトの主宰者が東洋医学のセラピストでありヨガ道場がその始まりであったことはまだ記憶に残っているよね。

 

もちろん補完医療がカルトであると言っているのではない。そうして時代が求めている補完医療のカタチがおそらくはスピリチュアルから宗教色を除いたものであるということは疑いようのない事実だろうと思うのよ。「Spiritual But Not Religious」という言葉は知られていなくても考え方はこの1年でずっと浸透してきていると思う。

 

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