五月病と腰痛の違い | クラニオセイクラルな日々-あたまをさわれば幸せになる

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大阪市淀川区西中島かなや整骨院院長のブログ

ココロに効く、カラダに効く、クラニオセクラル・セラピー

ウチの治療院の「売り」は「よそで治らなかった症状が良くなること」と「早く治ること」の二つ。たとえば腰の痛みを抱えたままで何日も過ごすのは憂鬱よね。それだけでなく通院に時間を取られるのもアワーレートの高い人からすれば損失ということになる。保険は使えなくていいから早く治してくれ、というリクエストはだから和痛のほかに時間を買っている、ということにもなる。

 

もちろんどんな腰痛でも短時間で治るとは限らない。どこに行っても治らない長年の腰痛、とか言うと改善するのに一定の時間はかかる。腰痛だけでなく、社会復帰レベルで症状を改善しようとすればやっぱりそれなりに時間を必要とする。その辺が部品を交換すればすぐに元通りになる機械の修繕と、イキモノである人間の治療との違いだと思う。

 

長年にわたって苦しんできた症状が改善すれば、それ以降の時間は苦痛と縁が切れるわけで、やっぱりここでも患者さんは和痛と時間を同時に買っていることになる。それはそれでめでたいことではある。

 

ただね、時間は元には戻らないというのもまた事実なのよ。オレの個人的な話をするとね、オレは中学のころひどいアレルギー性鼻炎でね、なかなか勉強に集中できなかった。あれはしんどかったな。

 

それから十数年たってセラピストになった。あるとき師匠に頭蓋骨調整をしてもらうと鼻が「すっ」と通った。ものすごく息をするのが楽になって思ったのは「中学校の時にこれをやってもらっていたら、受験勉強もっと楽やったかもしれんな」。その時オレはもう28歳になっていたからね。

 

学習障害やら不登校(五月病も)やらも同じ。もちろん人生いくつになってもやり直せる、というのも本当だけれども例えば中学2年は人生の中で一年きりなのよ。苦しみのない時間は買えるけれど、いったん失われた時間は永遠に戻ってこない。