父の手術とその後の生活 | 独学でも衣装作家!? 高良海のアメブロ。

独学でも衣装作家!? 高良海のアメブロ。

『一生つかえる服作り!』をテーマに、服作りに関する独自の視点、作り方をブログ、YouTube等で発信、服作りオンラインスクール運営。《ヴィレッジヴァンガード様でブランド名 high good として衣装販売中》著書「服作りは不器用こそ有利」AMAZON洋裁ランキング第1位獲得。

どうもkaiです。

 

ここ2カ月ほど本当に大忙しで自分の事がほとんど出来ずにいました。

 

 

10月の末、父の透析にいつも通り付き添っていたのですが、壊死した脚から無理やり血を流していた為とうとう菌が全身に回り容体が急変

 

看護師さんが酸素やら色んな処置をし始めて、待合室で寝ていた私も急いで父のベッドへ;

 

前日から熱が37.8度ほどあった私はその日透析室に入れずにいたのですが、父が苦しかったのは駆け付けた時に見た顔色で分かって、それからずっと手を握って声を掛けていました。

 

人間の爪があんなに青くなるなんて思いませんでした。

 

とりあえず今までの入院とは雰囲気が全然違くて…

病棟に移動してすぐに形成外科の先生に呼ばれ、『今日脚を切断しないと一週間後、生きていないと思います。どうしますか?お父さんを説得できそうですか?もし無理そうなら安らかに看取れる様な処置にしますが…』

 

一瞬?????

 

『今決めないと行けませんか?』

 

『そうですね。手術室の空きが今日の夕方しかないです。お父さんが検査から戻ったら説得出来ますか?』

 

 

父は検査でベッドごと検査に行っていて戻ってくる《15分》の間に私一人ですべての判断をしないといけませんでした。

 

 

とりあえず姉や叔母に状況の説明だけは連絡をし、検査から戻ってきた父に話をしました。

 

 

『父さんあのさ、脚今から切らないと来週生きてないって。海は父さんに生きて欲しいから不便になるかもしれないけど手術してほしい。ずっと痛かった脚の痛みも無くなるし、リハビリしたら今までより色んなところに一緒に行けるよ。でも父さんがそこまでしたくないって言うなら海は父さんの気持ちを優先するよ。』

 

この時の言葉は多分一言一句忘れてなくて、今後も忘れないと思います。

 

とにかく父にその事実を伝えるのがきつくて…

 

父がもし脚を切らないと言ったら私は今自分で言った事を受け入れる事が出来るのか。

この時本当に泣きそうで、でも泣いたら父が余計不安になるのでメチャクチャ歯を食いしばってました。

 

 

 

父の答えは

 

 

 

 

 

 

苦々しく…『仕方ないかぁ。』

 

 

 

 

『太ももの半分から切るから今までの生活どだいぶ変わるけど、痛みは無くなるし、孫も出来るし、海も変わらず透析は一緒に行くから今日頑張ろう。』

 

『そうかぁ。助かるなぁ。』

 

 

父は脚が壊死してきている事も知っていて、私と透析に通い出してからは透析中痛み止めを飲まない日の方が少ないぐらい痛みを我慢して脚を切るのを拒んでいたので、仕方ないにしても本当に嫌だったんだと思います。

 

 

 

 

それから叔母が駆けつけてくれたり、旦那が来てくれたりしながら手術の準備がバタバタと始まり、私は沢山の書類にサインしていました。

 

この辺りはほとんど記憶がないという…

 

 

ただ手術室に向かう時、タイミングが悪くて父に声を掛けられなかったので手術中は無事に終わるかソワソワでした。

 

 

 

実はちょうどこの日、循環器内科の診察で今後の心臓の手術や脚をどうするかを先生と話す予定だったので、父の手術のリスクは高いまま改善されておらず;

 

私はただただ無事に終わるのを待っているだけでした。

 

朝の9時から病院に来て、23時にICUに入っている父に会え、ベッドに寝ている父の毛布のふくらみで片足だけが無くなったんだと実感しました。

 

この時父はまだ朦朧としていて返事はなく、ICUなので長いもできずその日はそのまま帰宅。

 

 

とりあえず無事に終わった安心と朝からの疲れで帰ったら寝たいと思ったものの、衣装の依頼もあったので寝るわけにも行けず、『なんかきついなぁ』とぼんやり思いながら作業をしました。

 

 

少し話がずれるのですが、この時私自身も引っ越しなどが重なりかなり参っていて【にっちもさっちも】ってこういう時に使うんだなぁと思い、その状況なんかをTwitterで書いていたら依頼者様からメールを頂いて、『今、大変な時期だと思います。海さんが落ち着いてから作って頂ければ…イベントは以前作って頂いた衣装で行きます!海さんの衣装で色んな方と知り合えることができた・・・』という文章が。

 

色んな事でいっぱいいっぱいになっていた私はこのメールで緊張の糸が切れ、今年の涙を使い果たしたんじゃないかと思うぐらい泣けました。

 

 

やっと今の状況を冷静に考える時間と余裕が出来たんです。

 

 

このブログを読んで下さるか分かりませんが、田中様本当にありがとうございました。

とても言葉では表せない感謝の気持ちでいっぱいです!

 

 

 

 

手術が終わって、しばらくは引っ越しの作業で父の所にあまり通えず、行っても透析中で寝ていたりしたので様子を見たら帰っていました。

 

透析中、脚の痛みで寝れずにいた父がいびきをかいて寝ているのも私からすると嬉しく、顔色もかなり良くなっていたので、脚は片足無いけれど前より全然いい。

 

むしろリハビリをしたら松葉杖で歩けるし、行きたいと言っていた森にも行けるなぁなんて思っていました。

 

 

それから1日あいて、また透析の日に父の様子を見に行きました。

 

流石に話がしたくて起こしてみたら『お前風邪は大丈夫か?』と言われて拍子抜けしたのと脚無くなったのに私の心配をしてくれたことが少し嬉しかったです。

(喜んではいけないのかもしれませんが;)

 

病院に行けなかった間は父の今後をマインドマップに書き起こしたりして生きる希望になるものは何か?と考えていたので、その話をしたら『森をあるきたいなぁ』と言っていました。

 

私の父は彫刻をしていて、とても綺麗な面や欄間を作っていたのでおいおいはそれも出来る様になりたいね~なんて話もしてこれはいい兆しだなぁと思っていたら新たな問題が…

 

 

片足になった為、今までの施設に一旦の受け入れもできなくなり…

更に父がリハビリに積極的でなくなる…

 

 

次々と問題が出てきて、今は色んな施設に見学に行ったり、透析のクリニックに行ったりと父の帰る場所探しに躍起になっています。

 

今この記事を書いている時点でまだ受け入れ先は決まっておらず、病院側から確実に出てと言われた日にちもとっくに過ぎ、ベッドが足りない病院に置いてもらっている状態です。

 

 

透析患者で片足が無い父を受け入れてくれる施設はほとんど見つからず、何とか検討はしてくれるという施設が2件…

 

 

まだまだ先は見えません。

 

 

 

引っ越した家は戸建てプランのネット契約なのですが、手違いで工事は来年になり…

スクールのコンテンツUPも遅れ、色んな方に迷惑を掛けながらなんとか日々を落ち着けようとしています。

 

幸い、引っ越した家の近所にネットカフェがあったので一昨日からずっと来て、ブログの更新や溜まっていた連絡等を返したりしております。

 

スクールの生徒さんもずっとコンテンツが更新されていないにも関わらず、状況を少し話しただけで待って下さるとの事で、周りの方に本当に恵まれているんだと思いました。

 

有難いです。

でも、周りの温かさに甘えてばかりはいられないので、明日から本格的に活動します!!

 

 

 

 

私にお時間下さった田中様、スクールの皆さん本当にありがとうございます。

まだまだバタついていますが、きちんと製作、更新して行きますので改めて宜しくお願い致します。

 

このブログ自体はおそらくTwitterぐらいにか反映されませんので基本的に独り言なのですが、決意表明という事で…

 

 

おわり

 

 

次回【施設引き受けNGバツレッド病院『家でも借りてでて行って下さい高良さん』】