神学について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

私は神学なるものを知らない。

しかしこれについて多少の考えはある。

神様との色々な経験を通しての私の人間的な考えであるので、念のため。

神様について色々と調べ考察するのは、知りたい事に答えて呉れる神様が近くにいないからではないだろうか?

もし家族の中に親子で住んでいて、子が親に対して色々調べる「父学」なるものが存在するであろうか?

もし父について知りたい事があれば、直接聞くのではないだろうか?

父が死んでいたり、又、音信不通で遠い処に居るのであれば色々調べるかも知れない。

ある時、重要な書類が見つからなかった。

時間がないので奥の手をだした。

そして祈って言った。

「あの書類が何処にあるのか教えて下さい」

5分もしない内に神様は答えられた。

「あなたがそれを封筒に入れたではないか」

それを聞いて私は思いだした。

確かに他の書類と一緒に大型封筒に入れて何処かに保管した事を。

しかし、その大型封筒は見つからなかったので、再度祈ったが、神様は全く答えられなかった。

そして結果的には、もっと多くの書類が無くなっていると云う事が判っただけであった。

この事は私には非常に不思議に思えた。

この書類の途中経過を神様は知っていて、私に教えられた。

同じ神様は、その結末を知らないなずはないと思う。

しかし教えては呉れなかった。

私は思っている。

物事によっては神様は教えて呉れない理由がある事を。

聖書にも書いてある。

エルサレムの滅亡について、

「それはおまえの目に隠されている」

とイエス様が言われた事や、

「十字架の言葉は賢い者には隠されている」

等々。

例えば誰かについて調べる事は、それが全くの他人であったりする場合や、死んでいたり、音信不通であったりする場合には必要かも知れない(例えば興信所を使って)。

しかし一緒に住みたいと願う父親に対しては非常な失礼であり、父を悲しませる事ではないだろうか。

時々、

「神学の勉強をしています」

と云う人を見るが、この人は同時に次の様に言っていないだろうか?

「私と神様は大変離れているので、勉強して調べております」

と。

そもそも人間と神様は、調べたり調べられたりする関係であろうか?

人は神の被造物に過ぎないのではないか?

神様が教えようとされない事はあえて知ろうとしない方が良いと思うが…。

無理に知ろうとする事は、アダムの罪を再度犯すことにならないだろうか?

私は確信している。

神様が教えて呉れる知恵や言葉は、人間のものとは全く比較にならないという事を。

一年位前、私の教会に台湾から割と有名な先生が来られて、特別集会があった。

私は会社の帰りがけに行くつもりであったが、あまりにも長い時間待たなければならないので、時間をつぶしながら迷っていた。

その時、神様は言われた。

「誰かの話しをあなたが聞くのか」

あるいは、

「あなたが誰かの話しを聞くのか」

だったかも知れない。

そう迄言われたら、出席も出来にくいので、家に帰った。

この話しを聞くと、私を高慢な人間だと云うであろうが、神様に言って下さい。

ついでに答えも聞いて下さい。

イエス様はサドカイ人の質問に対して、

「神は、アブラハム、イサク、ヤコブの神であって、死んでいる者の神ではない」

と言われた。

私達が救われる前には、霊的には死んだ者であって、神様については調べるより他に知る方法はなかったかも知れないが、救われた後、神の霊は私達の内に住んでいて下さるのである。

住んでいて下さる方に聞かないで、他へ聞きに行くのは良い事だろうか?


追記 00/N

前3ペ-ジを転記していて感じているが、「私は思う」と書いてる処は、正確には「その時、私は聖霊によって思わされた」と書くのが本当の様だ。

これを読んでいて、人々に訴えざるを得ない。

神様は、ご自分が創造された人間に対して、涙ながらの訴えと憤懣(ふんまん)、嘆き、悲しみを今もしておられる。

イエス様の十字架は、死んで行くわが子に取りすがって絶叫しながら地獄までもついて行く母親の姿である。

神様は、歴史上の人、天上にある恐れ多い方、聖書にある契約上の方としてだけでなく、実在のお方として、お父さんと呼ばれる事を切望しておられる。



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