神様から見た人間の価値観 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2020年 7月18日

将棋のことで思い出した。

老人ホームのクラブに所属しているが、2、3年前に卓球から将棋に変えて貰った。

将棋には強い人がおり、三段とか四段とか言っていたが、全て自称であり、本当は初段以下かも。

私はその人とは角落ちでも勝てない。

どうしたら勝てるか、朝から考えていた。

何をしていても将棋の駒がチラチラ。

その時、神様は言われた。

「それに勝って何の意味があるのか」

私は意味などを考えていないのだが、意味のないことに没頭するのは辞めにした。

多分40歳くらいの時、自分の会社をどうするか考えていた。

神様には聞かなかった。

でも、神様は言われた。

「暇つぶしならやっても良い」

と。

人生の重大事も神様には暇つぶしの様である。

老人にとっても、判断に迷う事はしばしばである。

ある時、仕事のことで迷っていた。

その時、神様は言われた。

「それをしたら、焼け具合はどう違うのか」

死んだ後の火葬のことらしい。

老人になっても、神様から見れば私に限らず幼児並みである様だ。

昔、総理大臣になった人の述懐で、

「政治は俗事、経済は雑事」

と言った人を記憶するが、この人も人生を達観した人であろうか。

人類には、王や大臣や専門家や学者とは比較にならない崇高な仕事があるらしい。

人間が知らないだけで…。

でも、宗教家は知っている様だ。

生きることや欲望の事や知識の事で人生を使っているこの世界の人々は、少し考えてはどうだろう…。

【ルカによる福音書 12章】

それからイエスは弟子たちに言われた。

「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。

からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。

それだのに、神は彼らを養っていて下さる。

あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。

野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。

これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。

あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。

ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。」


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