小さき神の声 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2007年 2月22日

中国では、今年は2月18日が正月である。

正月は家に飾りをつけ、人々は皆、実家に帰り、前日から餃子を作り、日本より遥かに盛大である。

前日の夕方から各所で花火があがり、我が家のベランダから3箇所ぐらい同時に見えている。

今日は5日目だが、まだ爆竹の音が凄まじく、去年は目を傷めたから、今年は爆竹には近づかない。

爆竹の最後の音は、まるですぐ側に雷が落ちた様な大きさである。

今朝ベランダで祈っていて、神様に言った。

(父よ、あなたは教えばかりで、現実には何も現れないではないですか?)

すぐに返事があった。

(本当に現れていないのか?)

これは非常に小さい声である。

私は返答に困った。

考えてみると、現れている様でもあり…。

この事を考えながら、朝の祈り兼散歩に出かけた。

そして私の小さい頃や私の子供達の小さい頃を思い出した。

子供の頃は親の愛情の中にどっぷり漬かって居ながら、

「お父さんは僕の為に何もして呉れない!」

と散々わめいていた事を。

私の娘も同様であった。

私は非常に可愛がっていたので、幼稚園から最後は会社勤務する迄、送り迎えしてやった。

又、欲しい物は何でも買ってやり、最後は外車まで買ってやった。

それでも娘は時々私にわめいていた。

「お父さんは何もして呉れない!全然、可愛がっていない!」

完全に恵み慣れしているのである。

これを思い出し、私も娘と同じ様なことを神様に言っていたのかな…。

全く恵み慣れしている。

もし神様が現実に何もしていないのであれば、私は悪魔の攻撃にひとたまりもない。

今日の小さい声は、誰が言ったのか判らない位小さい声で、これを聞こえなかったと言っても嘘ではない位、小さい声である。

散歩中に気がついた。

この小さい声は神を信じるすべての人に語られてはいないのか?

人は聞こうとしているのか?

又、聞こえていないのか?

小さい声である理由は判っている。

聞いた人が、もし、

「聞こえ無かった」

と言っても、罪にならない為である。

この声は、神を信じる者には誰にでも聞こえると思う。

神に注意を払い、声を無視しなければ。

もし無視する事が初めから判っていれば、神様は語らないと思う。


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