預言者物語 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2023年 12月22日

知恵遅れの孫のことを考えていたら、このような事を次々思い出した。


その頃、私は預言者事務所に住んでいた。

孫も近くに住んで時々は遊びに来ていた。

ある日も孫は母親と遊びに来た。

事務所の近くで、孫は母親より先に走って警備員の横を通って行こうとしたら、警備員に止められた。

無理に入ろうとしたら、警備員に突き戻された。

孫は泣いて母親の所へ行き、母親は、

「預言者に会いに行く。連絡は入れてあるが。」

と、警備員に交渉。

それを聞きつけた詰所の警察やマスコミが集まって、そこへパトカーが到着。

私はパトカーの音が聞こえたので、入り口を見たら何か揉めている。

孫らしいので警護の人を振り切って、下へ行ってみた。

孫はまだ泣いていた。

私はもらい泣きしている内に、

(預言者はもう辞めよう)

と思った。

それで警護の人を振り切って、タクシーで孫と一緒に家へ帰った。

警備の会社の偉いさんまで私の家へ謝りに来た。

でも私は、

「預言者はもう辞めたから、もう誰にも会わない」

と帰ってもらった。

テレビの人はそれを世界中に放送してしまった。

それを聞いた一部の人が騒ぎ出した。

「預言者がいなくなると、世界大戦が起こるかも知れない」と。

これがアメリカ大統領の耳に入り、すぐに日本政府にクレームである。

「日本に預言者の保護が出来ないのなら、アメリカがする」と。

日本政府は回答を保留した。

政府は、「日本の事は日本でする」と、私に預言者を続けるよう説得や要請する人材探しを始めた。

このニュースを天皇陛下が見て、

「私がやろう」

と言い出した。

その連絡があったが私は断った。

「もう預言者はやめて庶民の生活をしているのでご足労には及ばない」と。

でも上皇陛下は「では私が行こう」と申し出た。

彼は、私と同年輩で話が合うかと、私は会うことにした。

彼は丁度来た総理大臣と一緒に我が家に来た。

二人とも泣いて私に懇願した。

私は預言者を続けることにした。

アメリカと国連は、日本政府が一週間で今後の対策を立てることを要請。

「預言者を軽く見るな」と再度のクレーム。

日本政府は困惑している。


以上、これは私の想像なら出来すぎている。

守護天使の一人に文才の人でもいるのだろうか。

しかし聖霊より低次元である。

私は教えられた通り一息に書いた。

将来、これに近い事が起こったら、これは参考になるのでは。 


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