神様からの伝言 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

神様が私に語って下さった言葉は数多くあるが、その中で幾つかは私だけでなく、むしろ、多くの人、又は全人類に語りかけられたものがある。

私には、この言葉を多くの人に伝える義務があると思う。

ここに神様からの伝言として書いておく。


朝、いつもの様に祈りに出掛けた。

(今日は何をしましょうか?)

と、いつもの様に祈っていた時、神様は言われた。

「わたしがあなた方をどんなに愛しているか、伝えて欲しい」

以後、初めて行った場所での集会の話しの時、度々この言葉を伝えた。

またある時、私は考えていた。

又は祈っていた。

(天国はどんなに素晴らしい所であろう!)

と。

その時、神様は言われた。

「地上で救われる程の幸いは天国にもない」


1972年、鶴見緑地でいつもの様に朝祈っている時、主は言われた。

「あなた方が罪を犯す時、サタンがあなた方を神に訴える事をあなた方は知らない」

「あなた方が罪を犯す時、神が与えようとしている祝福を神が取り去られるのをあなた方は知らない」


ここで、全ての人に是非聞いて欲しい事がある。

これは神様が言われたのではなく、私の意見であるので念の為。


*神様の淋しさは大変なものである!

人間で言えば、ほとんど病気になる位。

あれだけ多くの天使に囲まれながら何故?

人間は、恐るべき量の神の愛と熱意と努力と時間をつぎ込まれて出来た神の傑作であるのに、多くの人は、

*自分を創られた神がある事すら認めない
*人間が創った神と同列に扱っている
*神様を過去のものとして扱っている
*神様の能力を限定している
*神様に反対する霊と、どうしても手を切ろうとしない
*天国で神様と共に住もうと本気で考えていない


私自身、右記の二つ位は該当する様である。

全ての人は、創造主である神に帰って来る迄、その心の奥底に満たされない空白部分があると思う。

それを満たせるだけの刺激が生活の中にある内は気がつかないかも知れないが、それを感じさせるものはその人の霊であって、神に帰って来る迄は、みなしごの様な状態で、いつも親を求めている(探している)。

神様の方からみれば失われた魂であって、この魂が返って来る迄、神様の淋しさと嘆きは収まらない。


誰か他の人で間に合わせる事は出来ない。

 

聖書に、


「神はそのひとり子を給わった程に、この世を愛して下さった」


と書いてある。


この世の人間の数がもし少なかったら、イエス様は生命を投げ出さなかったであろうか。


もし10人なら、5人なら、もしあなた1人なら…。


私は確信する。


一人でも、あなたを救う為、十字架に掛かって下さった。

 

私には子供が二人ある。


二人になって気がついたが、そのどちらの子にでも生命を助ける為、自分の命を差し出す気持ちがある。


子供が二人おるので一人について半分ずつ、という事はない。

 

私の叔母に12人の子供がおった。


私の子供の頃、その一人が亡くなった。


叔母の泣き悲しんでいるのを見て、私は不思議に思った。


まだ11人残っているのに、あれ程泣かなくてもよいのに…。


今になってその気持ちが判る。


叔母には死んだ1人と残った11人とは同じだけ大切であった。


残った11人の1人ずつを取ってみてもそうである。


数学的には成り立たない。

 

神様はあなた一人と、残った何十億の人間を同じだけ愛していて下さるのである。


これ程迄に愛されていると信じられますか?


是非信じて下さい。



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