2008年 5月3日
インターネットを見ていると「神はいますか?」とか「死後の世界はありますか?」との質問が結構目につく。
これを見ると、大抵の人は心の中にいつ迄も疑問を持っている様である。
神などいないと思いたい人は、いないと断言する回答を見て、一応納得したつもりであるが、やはり疑問は残る様で、又同じ質問をしたりする様である。
安酒場でも同じ光景を目にする事があった。
「神など存在しないものを信じている奴は人間の屑だ!なーそうだろう!?」
と同意を求めてわめく酔っぱらいを廻りの人は、
(あの人は本当は神が恐ろしいもんだから、酔っぱらうと何時も叫んで同意を求める。人間、年を取っても神はいないとの確信はもてないのだなー)
と私は見ていたが…。
「人には永遠を想う思いを与えられている」
と聖書には書いてあるが、魂の親である神を、誰でも幾らかは気にしている様である。
私の父親は若い頃からの無神論者で、
「人間死んだら終りだよ。それから先は、なあーーーーにも無い」
これが信念であり、口ぐせでもあった。
しかし75才で死ぬ一カ月位前から死の恐怖にさいなまれ、まるで鬼の様な形相になり、もう地獄の始まりであった。
死んだら終りどころでは無かった。
多くの人は私の父親と同じ様に神も死後も無いと断言しているが、多分同じ運命になると思っている。
自分の死を悟った時、神も死後も存在を知るであろうが、もう手遅れである。
数年前、中国の子供センターを訪問した事があるが、朝の4時か5時頃、子供の声で目が覚め、聞いてみると、施設の門の内側で毎日曜尋ねて来るかも知れない親を立って待っているとの事であった。
寒いのでピョンピョン飛びはねながら数時間も待っているのである。
それを見に行って私も涙が出た。
子供を施設に入れた親にも事情があったのであろうが、子供はこんなに迄して親に逢いたがっているのである。
人間とて良心では霊の親である神に逢いたがっていたと思うが、人は罪によって良心を傷つけ、楽しみ等で麻痺させている。
それでも時々は気になる様である。
霊の親である神も、子である人間に逢いたくて絶叫している。
イエス・キリストを信じる事で簡単に神に逢う事が出来る。
親子を引き裂いてはいけない。
いつ迄も絶交の状態ではいけない。
20年以上も付き合いのあった知人であるが、大阪の大富豪の実子であった様だ。
若い頃父親と喧嘩をして家を飛び出し、老齢になる迄、細々と暮らして居った。
それ迄にも父親から帰って来る様に何度も言われてきたが、頑として受けつけず終世父親を許さなかった。
許して仲直りして父親の元に帰れば…と私達知人は思ったのであるが…。
良い家族として生まれながら、実に惨めな一生であった様に思う。