質問「クリスチャンが他者に制裁を加える時について」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2012年 9月

【質問】クリスチャンが他者に制裁を加える時について(プロテスタントの方に回答お願いします)。

誰の目にも、相手(一人)に非がある場合です。

我慢に我慢をかさね、堪忍袋の緒が切れたとします(一応)。

そこで、逆襲を開始する際、「神の御業」「神の御手が働いた」とする判断基準は何ですか?

例えば、ここ知恵袋で、目にあまる言動を繰り返す者がいたとします。

そして、「立ち直らせるため」という大義名分の元に、多くの賛同者がその逆襲に加わって、それを「多くの手が働いた」=「正義」だと主張したとします。

しかしその「多くの賛同者」の筈の方々が、実は多重IDや、仲間、身内などだった場合、これはむしろ神様への裏切りにはならないのでしょうか?

(本人たちに悪意はなく、本心から、神様の為になされた行為かもしれませんので、責めるつもりはありません)

「神の怒り」と「私怨」(異なる宗派間の)は、どうのように見分けるものなのでしょうか?

当事者、第三者、の立場での判断基準を教えてください。

意味不明な文章ですみません。

お気が向かれたら、ご回答よろしくお願いいたします。


【回答】78歳 元宣教師です。

クリスチャンが他者に制裁を加えるというのは、神様の許可が出ないでしょう。

せめて悪の制止ならOK かもしれませんが…。

何十年信仰していても、一晩中寝られない程、腹の立つ事もありましたよ。

でも神様は制裁どころか、反論すら止められました。

このカテも4、5年前は創造の神様を侮辱する人が多かったですよ。

その時神は言われました。

「しかし彼らは居なくなるであろう」

2、3ヶ月後、次々とその人たちはカテから姿を消しました。

2、3人は死んだようです。

その人たちが悔い改めるように神様もいろいろ手段を講じてはいる様です。

でも、とことん悪魔に追従して神を憎む人の最後は悲惨ですよ。

出来れば、

「彼らを悪魔の縛りから開放してください。例え片目が潰れても死なせないで下さい」

と祈ってあげて下さい…。

なおクリスチャンは職業や年齢ぐらいの自己紹介はしましょうね…。

海南島のヨハネ


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