質問「クリスチャンとしての人への裁き」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

【質問】もしクリスチャンが泥棒を見つけたら、警察に電話して相手を捕まえて裁くのでしょうか?

犯人は法的に裁かれます。

もし暴力を受けたとしても同じです。

怪我なども同じです。

盗難や詐欺もです。

聖書では、どういう裁きをしてはならないとなっているのでしょうか?

命の問題なのでしょうか?

それとも、現実による法律(リッポウテキ)なことなのでしょうか?

法的と信仰生活がうまくまとまりません。


【回答】聖書には、

「人を裁くな、自分自身が裁かれない為である」

と書いてあります。

でも腹が立つと、知らぬ間に裁いていますね。

老人になると、一度腹が立っても、静かに考えると、加害者と同じ事をした自分を思い出す事があります。

加害者を自分と重ねて考えて、寛容になるようです。

裁くのではなく、愛情で警察に突き出す事はあるでしょう。

親が子供に対してする場合はそうでしょう。

ますます悪くならない為に…。

赦せば裁かなくても良いのですが、これが難しいですね。

私は中国人と一緒に住んでいますが、品物は毎日の様に無くなります。

追求すると直ぐ白状します。

彼らの言い分は、

「日本人の家には使っていない物が沢山ある。私の家では欲しくても買えない。それで持って帰って何が悪い」

中国の一地方の常識のようである。

罪意識は全くない。

日本で言えば、会社の事務用品の私用くらいの感じである。

私もほとほと困り果て、神様に聞きました。

神の返事は、

「もし赦さないならば、同じ事を行ったあなたも同罪である」

又、

「過去の罪は赦しなさい。しかし現在(進行中)の罪は許さず、ましてや将来の罪に加担してはならない」

それで、物を盗られないように、鍵等をかけることにしました。

中国人は家庭内でも鍵をかけています。

その方法で中国社会はうまく行っているようです。

私も中国人を赦し、裁かないので、多くの人に愛されています。

海南島のヨハネ


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