これは、私にとって重い課題である。
神様の思いを知っているからである。
熱心なクリスチャンは読む途中で放りだすかも知れない。
しかし、この問題は私にとって避けて通れないと覚悟している。
信仰を持った人々に対してつまずきにならないよう願っている(「それならこんな物を書くな!」と云う怒声が聞えて来そうである)。
この項も神様が私に過去語られた言葉、今語られる言葉、今の神の思い(意訳)である。
先ず神は云われた。
「クリスチャンだけが我が子ではない」
「どうして聖書が、わたしと子供達を隔てる物になったのか?」
この神様の思いはずっと前から知っていた。
「なぜ多くの人は、わたしより聖書を重んずるのか?わたしは聖書の下にあるのではない」
私は神様の思いが良く判る。
聖書は聖霊によって書かれた、又は容認された神様からの契約書・伝言文・ラブレター等である。
だから書いた人は神様であり、イエス様であり、聖霊である。
これを読んで、又は聞いて、神の存在を知り、思いを知り、希望を持ち、生活の基準としているのである。
しかし、これが礼拝の対象とはならない。
間違ってはいけない。
聖書に人格はないのである。
もし今、神様が誰かに語られたとしたら、それは聖書に反するかどうかで判断するであろうか??
多くの預言者はそうしたであろうか?
12弟子はそうしたであろうか?
神様の思いはこうである。
「あなた方が聖書の言葉によって私を否むのは、わたしを知らないからだ。パリサイ人がイエスを否んだのは聖書の言葉によったのではなかったか」
神様を知るのは、与えられた感覚によるのである。
誰でも最初は聞いたり読んだりして神を信じた。
その結果、死んでいた霊が生き返り、その霊の感覚、すなわち霊感が生き返ったのである。
これによって神を感じる事が出来る。
そして、
「わたしはあなた方の直ぐ側にいて働きたい。だから何でも相談して欲しい」
とイエス様は云われる。
又言われる。
「学校を選ぶ時、就職先を選ぶ時、結婚相手を選ぶ時、それは聖書の中に書いてあるのか?」
もし神様が教えて呉れたとしても、ほとんどの人は従わない事を私は知っている。
だから神様は語られない事もある。
神様の嘆きはこうである。
「子供達よ、いつの間に聖書がわたしに取って代わったのだろうか?」
多くの人の反論が聞えて来そうな気がする。
「もっと聖書を読みなさい。あなたは神について無知である」
と。
私の若い頃は何度もそんな意見を聞いた。
今、老齢となり、私に面と向って云う人はいなくなった。
私は昔からこう反論している。
「私の二分の一、又は三分の一でも神様との経験を持っている人の意見なら聞きましょう」
と。
神様は云われる。
「わたしの存在を認めて欲しい。愛を持ってつながって欲しい」
聖書の中にはこうも書いてある。
「聖書はわたしについて書かれたものである」
とイエスは言われた。
わたしについて書かれた物と、わたし(イエス)は同格ではない。
「聖書の言葉は悪魔に対しては諸刃の剣である」
と書いてある。
これを神に向けてはいけない。
私はこう云う情景を想定する。
ある人が、その罪の為に親がいる事も知らず大きくなった。
ある時、一つの手紙を見て、本当は親がある事を知った。
そして、その手紙を信じて連絡をした。
しかし、どうも回線の具合が悪く、親がいる事は判ったが、とても話しが出来ない。
それでその人は考えた。
「話しが出来なくても手紙には大量の情報が書いてあるのだから、これを読めば話は不要である」
と…。
親は子と話しがしたかった。
出来れば側に行きたかった。
この親は神様である。
電話の向うでは、
「我が子よ、我が子よ、わたしの子供達よ!」
と叫び続けている。
だが返事はない。
回線の不良である。
罪に乗じて悪魔は回線を切っている。
回線の修理が先である。
どうしたら回線の修理が出来るのか。
多くの人は熱心に祈り、神様と通話を願っている。
だが本心からそうであろうか?
もし自分の今の立場を否定される様な事を云われたら困ると思っていないだろうか?
その心が理由となって回線を切っているのである。
「神様何でも云ってください。私は従いますから…」
これは簡単に云える祈りではない。
だから神様の嘆きは続く。
「義人はいない。一人もいない。」
と…。
実は、私は聖書を礼拝している教会を知らない。
でも聖書全能主義の人はいる様である。
神様はそう云う人々に対して語られたのであろうか?
追記 6/19
これはどうもエホバの証人に対してではないかと思い、インターネットで公開質問状を入力した。
途中で10回位も画面が消えたが、数秒で復旧するので最後まで入力した。
さて送信しようと思ったら、完全に画面は消えて、もう半日以上経つが復旧しない。
で、神様に聞いた。
小さい声あり。
「たとえどんな相手でも、争いを仕掛けてはならない」
との返事である。
公開質問はやめにした。
画面が消え始めた時、神様に聞くべきであった。
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